なる爺:なる爺じゃ! いまから英作文のベンキョーをはじめるぞ。英作だけに、エー、サクサクとやるぞ。それに散歩といっても、いっぺんに三歩は進まん。一歩ずつじゃ。どうじゃ、おもしろいじゃろう、ワシのジョークは。ぐうぁははは。

あさみ:あさみ、でーす。みなさん、なる爺のつまらないギャグは、どうか無視してくださいね。それよりも、一緒に楽しく英作文を勉強していきましょう。で、なる爺。最初は、なにからはじめるの?

なる爺:最初は、英作文がいかにカンタンであるかということを、ワシがきっぱりと解説するぞ。

あさみ:英作文がカンタン? それって、ほんとなの?

なる爺:おお、ほんとに本当じゃ。ワシはうそはつかん。ほらは吹くがの。

あさみ:でも、なんか信じられないなあ。だって、もしカンタンなら、誰でも英語がすぐに書けるはずでしょ? でも実際には、すらすら英語が書けるひとなんて、あさみのまわりで見たことないもの。

なる爺:それはの、みんなが英語を書く「コツ」を知らんからなのじゃ。英語を書くには、それなりのコツというものがあっての。それを知っておれば、英語を書くのはそれほどたいへんなことではない。ところが、ほとんどの日本人はそれを知らんから、ほんでもって、英語が書けんのじゃ。

あさみ:じゃあ、そのコツってやつを、これから、なる爺が教えてくれるってこと?

なる爺:そう、そのとおりである。コツを、コツコツと教えてあげるのである。

あさみ:つまんないこといってないで、はやくはじめて、なる爺!

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英作文での心得

最初に、英作文学習をするうえでの私(成瀬)からのアドバイスをいくつか述べておく。

1. 直訳をしない

日本語には日本語の認識・思考と言語構造があり、英語には英語の認識・思考と言語構造がある。そのあいだには決して乗り越えることのできない壁があることから、日本語を英語にすることは本質的にできない。それを無理にやろうとすると必ず大きな歪みが生じる。私たちがおこなうべきは、日本語で考えたことを英語で表現することである。人間の思考は言語に縛られている部分も確かにある。だが、そのほとんどは大きな歪みなく表現できる。

2. ネイティブ英語を目標としない

英語ネイティブのように英語を書けるようになりたいと思うのは卑屈な考え方である。ネイティブ信仰に目を眩まされた奴隷根性だといってよい。したがって私たちが英作文を学習するときにはネイティブ英語で書くことを目標としてはいけない。世界の人々とつながりたいのであれば、日本語人としての矜持を胸にして国際英語で自分なりの考えを表現していくべきである。ただし、その場合には適正な国際英語をマスターしなければならないのは当然である。

3. 完璧を求めない

一般的に日本人は常に完璧を求めようとする。それはもちろん美点であり長所であるが、英作文ではそれが短所となる。細部にこだわりすぎ、間違いを過剰に怖れるあまりに、自分のつくった英語にどうしても自信がもてない。だが私たちが英語を書く際には少々間違っていてもまったくかまわないのである。国際英語は英語ノンネイティブの共通語であることから規範が比較的緩めに設定されている。たとえば冠詞や時制での軽い誤用についてはおおよそ許容される(もちろん重い誤用は許されない)。したがって国際英語で書かれた英語にネイティブ英語からみて少しばかりのミスがあったとしても、自分が伝えたいことが十分に伝わっているのであればそれでよいのである。

4. たくさんの表現をつくる

ひとつの日本語思考に対しては、じつにさまざまな英語表現が考えられる。そうしたさまざまな英語表現をつくろうとすることで、私たちの英語表現力は大きく伸びていく。さらにはそれを実際につくりだすことで日本語思考の新たな側面もみえてくる。日本語思考と英語表現とのあいだに正のフィードバックループが働くのである。こうして私たちは英作文のトレーニングを通じて私たちの思考そのものを鍛えることができる。

以上、直訳をしない、ネイティブ英語を目標としない、完璧を求めない、たくさんの表現をつくる、という4点は、日本語人が日本語人として英作文の学習をおこなっていくうえでの最も重要なポイントであり、かつ、現在の英作文教育において最も欠けているポイントであると、私は考えている。

 

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なる爺:どうしたのじゃ、あさみ。なにをムズかしそうな顔をしておる。

あさみ:英語ネイティブのように英語を書けるようになりたいと思うのは卑屈でネイティブ信仰に目を眩まされた奴隷根性だというのは、かなりショックな意見だよね。だって、あさみはやっぱりネイティブのような英語を書きたいって思うから。それに、間違いのない完璧な英語を書けるようになりたいとも思うし。でも、成瀬先生は、そうしないことが英作文の学習で大事だっていうんでしょ? これって、どうなのかなあ。成瀬先生のいうこともわからないことはないけど、ちょっと極端すぎる気がする。

なる爺:なーるほど。では、あさみは自分の書いた英文を英語ネイティブにチェックしてもらいたいと思うかの。

あさみ:そりゃそうだよ。

なる爺:なぜじゃ。

あさみ:なぜって、そのほうが自分の勉強になるもの。どこを間違ったかってことがよくわかるし、その間違いを書き直してもらえれば、本当はどんなふうに書けばいいかもわかるから。

なる爺:だがそれは「ネイティブ」チェックではなくて「文章専門家」チェックだとは思わんか。

あさみ:それはそうかもしれないけど。でもネイティブって私たちには絶対にないものを持ってるし、やっぱり英語学習にとっては特別な存在だと、あさみは思う。

なる爺:成瀬先生は、そうではない、と考えておるではないかの。いずれにしろ、この話はそうカンタンに決着のつくことではない。あまり深刻にならず、まっ、ゆっくりと考えていくことにしようではないか。

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なる爺:では、勉強に入るぞ。最初に英語センテンスの「パーツ」について説明するとしよう。たとえばじゃが、オーケストラは弦楽器と管楽器と打楽器というパーツからできておる。これらと同じように英語のセンテンスというものも、いくつかのパーツからできている、と考えるわけじゃ。

あさみ:その「パーツ」って、名詞とか動詞とか形容詞とかっていうやつのこと?

なる爺:いや、名詞や動詞や形容詞といった概念は、ここでいうところのセンテンスパーツのことではない。あれは品詞分類といっての。まあ、語彙の名札みたいなもんじゃな。ここでいうところのセンテンスパーツとは、そうした語彙の名札のことではなく、Subject(主部)、Predicate(述部)、Modifier(修飾部)という構文要素のことじゃ。多くのひとが「名詞」「動詞」といった品詞分類とSubject、Predicate、Modifierという構文要素を混同してとらえておるようじゃ。それで話が進むにつれてわけがわからなくなってしまうのじゃろう。こと英語センテンスをつくるということでいえば名詞、動詞、形容詞といった品詞分類については忘れてしまったほうがよい。そうすれば話がややこしくならなくてすむからの。

あさみ:ふーん。で、その構文要素というのは、どのくらいの種類があるの?

なる爺:うえにあげた3つじゃ。

あさみ:えっ、3つ? たったそれだけ?

なる爺:そうじゃ。Subject、Predicate、Modifierという3つの要素をただポンポンと順番に並べたものが英語のセンテンスというものなのじゃ。どうじゃ、英語センテンスというのは、とっても、とーっても、カンタンじゃろう。ぐふふふふ。

あさみ:なる爺、その不気味な笑い声、やめてくれない? でもなんか信じられないなあ。ひょっとしてウソついてるんじゃないの? なる爺。

なる爺:むむ、なんということを! では、それがウソでない証拠をきっちりとみせるぞ。

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<コラム>
なぜ英作文に日本語が必要なのか

英語教育者のなかには、本当に英語らしい英語を書くには最初から英語で考えて英語で書くべきだと主張する人々がいる。無謀で愚かな考え方である。

日本語人は日本語で思考をしているのであるから、日本語を使わずに英語だけで思考をすればまともな思考などできない。当然ながら、そうしたつくられた英語文章は私たちの知性を正しく反映しない稚拙なものになる。そんなものをつくることが私たちの目標ではないはずだ。

日本語文明は長い歴史を通じて構築されてきた世界に冠たる高度文明である。日本語を使えば古代の文化から最先端の科学までのすべてを吸収することができる。日本語人はそうした豊かな伝統のもとに知識を積み重ねて思考をしているのである。この素晴らしい資産を使わずに英語で考えて英語を書くということは、京都の街をすべて壊してニューヨークやロンドンのような街並みに建て替えようとするのと同じである。

確かに日本語の世界は独自であり普遍的ではない。だが英語の世界もまた独自であり普遍的ではない。すべての言語世界はそれぞれに独自であり、そしてそれぞれに独自であるからこそ価値がある。私たちが目指すべきは、日本語の独自の世界を確かな足場としつつも、それを越えて、より普遍的な世界へとつながっていくことにある。それが、私たちが英語を国際語として学ぶことの意義である。

 

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1. 思考の基本単位(単文)

センテンス(Sentence)に必要不可欠な要素はSubjectとPredicate、ただそれだけである。学校英文法で「品詞」(part of speech)と呼ばれるもののうち、Subjectは必ず「名詞」である。Predicateには必ず「動詞」が含まれている。したがって品詞のなかでも名詞と動詞は別格である。

思考の観点からみるとSubject-Predicateとは「何が、どうする」「何が、どうである」という「思考の基本単位」を表現するものである。Subjectが「何が」にあたり、Predicateが「どうする、どうである」にあたる。この簡単な思考をうまく積み重ねていくことで、私たちは複雑な思考に到達できる。

 

​(続きは本編で​)

「心の英作文」
(サンプル原稿)

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