すべての英作文指導者に必要なこと

すべての英作文指導者は「日本人が英語を書くということはどういうことなのか」「日本人英語作文能力はどのようなものであるべきか」といった根源的な問いに対して自分なりに考え抜いた答えを持っていなければならない。その答えを持っていない人間は英作文指導をするべきではない。 こうすれば大学入試の英作文で高得点がとれるとか、こういう書き方をすればTOEICのライティングテストの点数が上がるとか、こんなふうに書かないと英語ネイティブに笑われるとか、そんなことは、せんじ詰めれば、どうでもよいことである。 いま英作文を教えている教師たちは、どのような覚悟を持って英作文を教えているのか。自分や生徒が書く英語とはどのようなものであるべきだと考えているのか。そんなことはどうでもいいと考えているのか。それとも何も考えていないのか。あるいは自分の英語なんてじつはこれまでに書いたことがないのか。

theやaの付け方や単数形や複数形の使い分けに少々失敗したって、ちっともかまわない

英作文や英語ライティングの指導をしていると、生徒さんの英語名詞表現の間違いを指摘することが、どうしても多くなる。名詞表現にtheやaがついているかいないか、単数形なのか複数形なのか、といったことである。 多くの場合、こうした間違いを指摘すると、多くの生徒さんは、恥ずかしそうな、悔しそうな、なんともいえない表情を浮かべる。上級クラスになればなるほど、そうした表情を浮かべるケースが多くなる。 生徒さんの心の中には、これまで英語を一生懸命勉強してきたのに、それでもこんな間違いをするなんて、自分の能力はなんと低いのだろう、といったような気持ちが生じているのだろうと、私は推察する。なぜそのように推察できるかといえば、以前の私がそうだったからである。 しかし、こうした自己反省は、まったく不要である。さらにいえば有害である。それは、英語に対する根拠のない自信喪失感を生み出すだけであって、なんら生産的ではない。そんなことでくよくよしたり自己反省したりするのは、一部の英語ネイティブとその手先連中が展開している、日本人の英語コンプレックスに付け込む英語ビジネス(「日本人英語のここがヘンだよ!」マーケティングの悪辣さを見よ)を、ただ肥え太らせるだけのことである。 敢えて言えば、theやaの付け方や単数形や複数形の使い分けに少々失敗したって、ちっともかまわないのである。そもそも、英語の名詞認識表現は世界の言語からみても非常に特殊であって、英語ネイティブ以外には誰も正確には使いこなせないものである(もっといえば、英語ネイティブだってあやしいものだ)。 たとえば、中国人やロシア人の使う英語にはtheが非常

高校生向けの英作文の参考書についても書いておく。

ついでに、高校生向けの英作文の参考書についても書いておく。 高校生向け英作文参考書として、消極的な意味において読むに値するのは『竹岡広信の英作文が面白いほど書ける本』だけである。そのほかの英作文参考書についてはすべてコメントするにも値しない。まったくのダメダメである。 『竹岡広信の英作文が面白いほど書ける本』で展開されている日本語→英語という英作文理論/手法を私は根本的に間違っていると考える。日本語を英語にすることは本質的に不可能だからである。翻訳するべきは言葉そのものではない。表層の言語表現の下に存在する思考やその他の「心」のほうである。 したがって本来であれば、この本についても私としては否定をしなければならない。 だが私の読む限りにおいて、この本の著者の竹岡氏はそのことを充分に承知している。承知していながらも、高校生に教える「方便」のひとつとして、敢えて日本語から英語への言語変換という手法を採用している、ような気がする。(なお、その他の英作文参考書の著者については、日英言語変換手法を用いることに対していかなる反省もないようにしか読めない。ゆえに論外である。) 以上から、私としては『竹岡広信の英作文が面白いほど書ける本』を「消極的な意味において」読むに値する英作文参考書だと判断する。 いっぽう「積極的な意味において」読むに値する英作文参考書はまだ存在しないが、それについては成瀬が書く予定である。

読むに値する英文法書をご紹介

いま気づいたのだが(高校生以上向け)英文法参考書として『Forest』とその後継版である『Evergreen』を取り上げるのであれば、その他の英文法参考書についても、やはり言及しておくべきだろう。 総合英文法参考書として認めてよいと私が判断するものは ①『英文法汎論』(細江逸記) ②『現代英文法講義』(安藤貞雄) ③『英文法総覧』(安井稔) ④『表現英文法』(田中茂範) ⑤『「英語のしくみ」を5日間で完全マスターする本』(佐藤 誠司他) の5冊である。 ①と②は高校生向き(あるいは初級者向き)とは決していえないが、英語専門家になりたいなら読破すべきである。③は高校生でも「とても理屈っぽい」タイプならば面白く読めるかも知れない。④は非常に良い。ただ何かが足りない。⑤は「総合」と銘打つには少し語弊があるが一般書として読むべき価値がある。 そのほかについては有名な『一億人の英文法』も含めてすべてダメである。『一億人の英文法』は、考え方はよいが、本としてダメである。これまでの著作をただまとめただけのものであり、文章に本物の力がない(『ネイティブスピーカー』シリーズにはそれがあった)。それに索引がない。『Forest』はダメダメである。そのほかはコメントするに値しない。『Evergreen』についてはまだ読んでいないので態度を保留する。

『総合英語 Evergreen』は高校生向け英文法学習参考書として、新しい道を歩み始めたという点で高く評価したい。

注文していた高校生向け英文法学習参考書『総合英語 Evergreen』が、いま届いた。ぱらぱらとめくってみた。これはいい。『総合英語 Forest』の後継版だというが、『Forest』とは、英語文法に対する説明の仕方を本質的に変えたようだ。 『Forest』は、従来のばかげた英文法観をひきずった悪書だった。先の投稿で私は「また高校の有名英語参考書(たとえばForest)には「動作や状態を表す語を動詞と呼ぶ。動詞を文中で用いるときには、自動詞として用いる場合と、他動詞として用いる場合がある」などと、わけのわからないことが書いてあります。」と敢えて悪口を書いたのも、そのためだった。だが『Evergreen』では、そうした記述もなくなっているようだ。 そのほかの説明をいまぱらぱらとみても、人間の心の動きの部分にまで解説を届かせようとする姿勢がよくわかる。また日本語との本質的な違いにも触れようとしている。もちろんいずれの説明も私の目からみればまだ充分ではないが、それでも、これまでの高校生向け英文法学習参考書に比べるとまさに革命的展開である。新しい道を歩み始めたという点で高く評価したい。 いまネットで調べてみたところ、『Forest』から『Evergreen』へと変わる際にどうやら出版社も巻き込んでのトラブルがあったらしい。そのせいもあるのだろうが、アマゾンの書評はまったく的外れのことしか書いておらず(いつものことではあるが)、またそこには、革命を目指す『Evergreen』をなんとか貶めようとするアンシャンレジーム側たる『Forest』の意図も少し見え隠れする。しかし私にとっては、そん

「名詞」が「主語」になるのではありません。

先の投稿で、英語の単語には「動詞」「名詞」「形容詞」「副詞」「前置詞」といった種類が別々にあるのではなく、ひとつの単語に動詞用法、名詞用法、前置詞詞用法といった、いくつもの「用法」があるのだという話をしました。 では、そうした語の「用法」は、どのようにして決まるのでしょうか。それは、英単語がセンテンスのなかで果たす「役割」(文法的機能)によって決まるのです。 waterという語を例にとりましょう。waterには名詞(用法)と動詞(用法)と形容詞(用法)があります。では具体的にどのような場合に名詞(用法)/動詞(用法)/形容詞(用法)が決まるのでしょうか。例文で見てみます。 たとえば、Water is important.(水は大事だ)のなかでのwaterは、名詞(用法)です。なぜなら、このwaterは、SVC構文のセンテンスでSubjectの役割を果たしているからです。 つぎに、I water a lawn.(芝生に水をやる)のなかでのwalkは、述語動詞(用法)です。なぜならば、このwaterは、SVO構文のセンテンスで(Predicative) Verbの役割を果たしているからです。 そして、I like water sports.(水上スポーツが好きだ)のなかでのwaterは、形容詞的修飾語(用法)です。なぜならば、このwaterは、sportsという名詞用法(Objectとして機能する語はすべて名詞用法)の前に置かれてsportsの意味を補強している(これが形容詞的修飾語の機能)からです。 重要なことは、「名詞」が「主語」になるのではない、ということです。そうではなく、

日本は国際社会にいやおうなく曳きずり出されたのです。その結果としての英語学習です

まず『なぜいま人類史か』(渡辺京二、洋泉社)からの引用です。 「明治維新はまさに、伝統的社会を解体して近代工業文明をうちたてる課題を遂行した革命なんです。これは、そうしないとまず国際社会、当時の言葉でいうと万国対峙の状況下で生き残れないということがあります。伝統的社会がけっして悲惨な社会ではないこと、そのなかで日本人はむしろしあわせそうな馬鹿面をして生きていたということは、この席で前回申し上げました。当時、現状を打破すべきだと考えた志士たちは、この伝統的社会がそれ自体生きにくい社会だという実感からたちあがったわけではなくて、これではとても国際環境に対応できないということが、彼らを立たせた動機だったんです。(略) 明治維新の根本問題は、資本が完成しようとしている世界市場という場に、伝統的社会としての日本が曳きずり出されたということです。これが一切です。日本の悲劇も喜劇も、絶望も希望も一切ここから始まったのです。日本はここではじめて世界史の舞台に曳き出されたのです。世界普遍性としての西欧との対決、これは維新のアルファでありオメガです。」 現在の英語教育を考える際に、この渡辺京二の明治維新に対する捉え方は非常に参考になります。すなわち「明治維新の根本問題は、資本が完成しようとしている世界市場という場に、伝統的社会としての日本が曳きずり出されたということです。これが一切です。日本の悲劇も喜劇も、絶望も希望も一切ここから始まったのです。」という渡辺のコメントにおいて、「明治維新」のところに「英語教育改革」を入れ、「資本が完成しようとしている世界市場」のところに「英語が世界共通語になってし

なぜ中学や高校において英文法と日本語文法とを一緒に教えないのでしょうか。

私はいつも思うのですが、なぜ中学や高校において英文法と日本語文法とを一緒に教えないのでしょうか。国語と英語とに教科が分かれているから、などといったくだらない理由は成り立ちません。百歩譲って、もしもそれが理由ならば「総合学習」の一環として行えばよいだけの話です。 英文法教育と日本語文法教育との融合については、すでに60年以上も前に日本語文法学者の三上章が強く提唱しています。そして、それが日本語教育と英語教育のどちらにも非常に大きなシナジー効果を生み出すのは火を見るよりも明らかです。ところが私の知る限り、英語教育学者も日本語教育学者も、このことについていかなる積極的な提言も行ってきていません。いったいどうなっているのでしょうか。 日本語教育と英語教育の融合については、文法分野だけではなく発音の分野でも非常に大きな成果を生み出すことでしょう。英語教育学、日本語教育学の専門家の皆さん、ぜひご検討を。

多くの日本人英語学習者は、英文法の「品詞」(Part of Speech)という概念を本質的に誤解しています。

多くの日本人英語学習者は、英文法の「品詞」(Part of Speech)という概念を本質的に誤解しています。英単語は「動詞」「名詞」「形容詞」「前置詞」「副詞」といった「品詞」にそれぞれに分かれるものである、と無意識にですが考えているのです。これが本質的な間違いであり、すべてのボタンの掛け違えの始まりです。 英語の単語に「動詞」「名詞」「形容詞」「副詞」「前置詞」といった種類の単語があるのではありません。「品詞」とは英単語がセンテンスのなかで果たす役割、つまり「単語の用法」を分類したものです。言い換えると「動詞」があるのではなく「動詞用法」があり、「名詞」があるのではなく「名詞用法」があり、「前置詞」があるのではなく「前置詞詞用法」があるということです。 ところが学校英語ではこのことを明確に教えません(それどころかそもそも現在の中学校では「英文法」そのものを教えないのです!)。また高校の有名英語参考書(たとえばForest)には「動作や状態を表す語を動詞と呼ぶ。動詞を文中で用いるときには、自動詞として用いる場合と、他動詞として用いる場合がある」などと、わけのわからないことが書いてあります。 こうしたでたらめ状態にあるため、もし私が中学生や高校生に「waterの品詞はなんですか」と尋ねるとすると(実際にはこんな質問は私は絶対にしませんが)多くの生徒が「名詞です」と答えることになるでしょう。しかし、これは間違った認識です。water=名詞ではないのです。 たしかに日本語では「水(みず)」はあくまで名詞であり、「水(みず)る」「水(みず)った」と動詞になることはありません。しかし英

ECCの先生との個人レッスンから

今日は横浜でECCの先生をされている方に対する個人レッスンの日。彼女が用意してきた英語動詞の本質的理解に関する疑問点に対する説明で、2時間半があっというまに過ぎた。 彼女からは次のコメントをいただいた。 「教えている中学生にとても理屈っぽい生徒が何人かいて、彼らが簡単には答えられないような本質的な質問をいつも投げかけてくるんですが、それに対して答えられる自信ができました」。 うれしい。それに、そうした生徒対策ならば私こそぴったり。なぜなら私自身がそうした「とても理屈っぽい生徒」の成れの果てだから。

学校英文法に欠けている2つの認識

先のブログで述べたように現在の学校英文法には日本人英語学習が英語をマスターする道具としては本質的な歪みと欠陥があるのですが、なぜそのような歪みと欠陥が生じたのかといえば、次に示す2つの認識が現在の学校英文法には欠けているからだと考えます。 現在の学校英文法に欠けている第1の認識は、私たちは英米人ではなく日本人であるという認識です。これについては前のブログで述べたとおりです。すなわち学校英文法とは、じつは英米で英米人のためのつくられた英文法をただ無批判にコピーしたものに過ぎず、その結果として日本人英語学習者にとって本当に必要なことがカバーできておらず、逆に日本人英語学習者にとっては特に必要でないことが数多く含まれています。 現在の学校英文法に欠けている第2の認識は、私たちが英文法を学習する目的は英語を言語として解明することにあるのではないという認識です。私たちは言語学者や文法学者になるために英文法を学ぶわけではありません。私たちが英文法を学ぶ目的は別のところにあります。 私たちが英文法を学ぶ目的は、英語が英語人の思考や意識や感情をいかに生み出して表現しているのかを理解し、その理解を実践の場で活かすことです。つまり英語の「心」を理解して、英語の心で他者の心とつながることです。 私たちが英文法を学ぶのは、私たちが日本人以外の「心」を正しく知るためであり、そのうえで私たちの「心」との交流を図るためです。「言語学習のための文法理論や文法教育とは人間の心と心をつなぐためにある」というこの認識が、現在の学校英文法からすっぽりと抜け落ちています。 近代(デカルト以降)の人文分野学問の致命的な欠

学校英文法の致命的な欠陥は・・・

学校英文法の致命的な欠陥は、日本人英語学習者が絶対に知っておかなければならない英語に関する本質的な事柄がほとんど含まれておらず、その一方で、知っていてもたいして役に立たない事柄が数多く含まれていることです。日本人英語学習者が絶対に知っておかなければならない英文法に関する基本事柄とは、たとえばですが、次のようなことです。 ①英語の構文について:英語で「Sentence」ではSubject-Predicateという幹の部分にModifierという枝の部分がつき、日本語の「文」は「~は」というトピックに対して「~である」というコメントがつく。すなわち英語のSentenceと日本語の「文」とは、その本質が異なるものである。 ②英語の「Noun」「Verb」について:英語にはNoun、Verbという語が別々にあるわけではない。chairもwaterもrunも、時にはNounとなり、時にはVerbとなる。敢えて言えばNounやVerbという概念は語における「用法」の一種である(Noun用法、Verb用法)。一方、日本語の「椅子」「水」は間違いなく名詞であり、動詞としては使えない。「走る」は間違いなく動詞であり、名詞としては使えない。すなわち、英語のNoun/Verbなどの「品詞(Part of Speech)」と日本語の「名詞」「動詞」などの「品詞」とは、その本質が異なるものである。 ③英語の「もの」認識について:英語で「もの」(名詞用法)を認識する際には(1)特定/不特定、(2)可算/不可算、(3)単数/複数という3つの認識プロセスを必ず通過させなければならない。それに対して、日本語で「

学校英文法にとって代わる、日本人英語学習者にとって本当に意味で役に立つ英文法をつくりだし、それを教えていくことを目指しています。

私の講義での英語「文法」に関する説明は、既存の学校英語での説明とは本質的に異なるので、受講生のなかには最初はとまどったり反発したりする人もかなりいます。 たとえば、英語の「前置詞」は「動詞」と同じ機能と捉えることができますし、またそのように捉えたほうが私たち日本人の英語理解がはるかに上手くいきます。それにも関わらず、こうした説明をすると一部の受講生の顔には「前置詞が動詞と同じ?この先生、大丈夫?」と書いてあります。 また進行形はSVC構文の一変種であり、完了形はSVO構文の一変種だと捉えることは日本人の英語理解にとって有効です。が、これも前置詞・動詞の場合と同様に、このことを話すと私に対する不信感が一部受講生の顔には浮かびます。学校英文法とは異なるからです。 日本人英語学習者には学校の英語授業を通じて刷り込まれてきた役に立たない英文法知識、本質的に間違っている英文法知識が、数多く詰め込まれています。学校英文法に良い部分がまったくないわけではありませんが、悪い部分に比べると良い部分ははるかに少量です。したがって学校英語での文法の説明は日本人英語学習にとって益よりも害の方がはるかに大きいと私はみなしています。これは私だけの考え方ではなく多くの英語関係者の見方でもあり、だからこそ学校英文法排斥論が英語教育で長年にわたり非常に強い勢力を持っているわけです。 しかしだからといってコミュニカティブ・アプローチのように英文法そのものを排斥してしまうのは明らかに間違いです。これでは「産湯と共に赤子を流す」ことになります。 これからの英語教育にとって大事なのは、学校英文法にとって代わる、日本人英

<ものの大きさの日本語表現、英語表現 No. 1>

まず「縦・横」です。 日本語では、図Aは「縦10 cm、横20 cm」、図Bは「縦20 cm、横10 cm」と表現するのが普通です。しかし英語では図A、図Bともに一般的には20 cm long, 10 cm wideです。日本語では「縦」は上下(又は奥行)、「横」は左右を指しますが、英語では長い方がlong、短い方がwideです。ただし、写真の寸法のように向きを意識する時には、図Aは10 cm high, 20 cm wide, 図Bは20 cm high, 10 cm wideとなります。 ![endif]--

ビジネスメールの英作文です。

以下はビジネス向け英作文の例です。こうした内容のメールをストレスなく英語にできるようだとグローバルビジネスもスムーズに進みますね。 1. 社内向けメール例 営業の山田です。いつもお世話様です。今回のプロジェクトの件で打ち合わせをお願いしたいのですが、いかがでしょうか。できれば今週中にいちどビデオカンファレンスを設定できればと思います。ご都合をお聞かせいただければ幸いです。 2. 社外向けメール例 突然のメールにて失礼します。ABC社の営業部の山田太郎と申します。弊社は日本のプログラム開発会社でおもにWebマーケティング分野のプログラムを開発しています。御社のサイトに掲載されているプログラム開発の入札に応募したいと考えております。つきましては応募のための詳細に関してお教えいただければと思います。ご高配のほどどうぞよろしくお願いします。 当方ではビジネス英語メールレッスンカリキュラムをいま開発中です。モニターとしての参加にご興味のある方はご連絡を。

英語で表現する際に重要なことは、それぞれの概念や機能にあった表現の選択肢をたくさん持っていることです。

英語で表現する際に重要なことは、それぞれの概念や機能にあった表現の選択肢をたくさん持っていることです。 例えば「上方への動き」を表したいとします。その際に最も基本的な表現は(go) upでしょうが、それ以外に数多くの表現があるはずです。そしてそれぞれの表現で微妙に意味合いが違いますし、使える文脈が違っています。そうした違いを表現するためには、できるだけたくさんの英語表現を知っておくほうが得策です。この「上方への動き」であれば、例えば次のような表現が考えられるでしょう。 go up, increase, slope up, rise, take off, improve, jump, shoot up, soar, rocket, recover, climb, pick up, edge up, grow, gain, rebound, strengthen, quicken, accelerate, spike これらの表現を覚えて、それぞれの文脈の中で上手に使いこなせるようになると英語でのアウトプットに幅で生まれるはずです。 そのほか、それぞれに「下方への動き」「動きの種類」「もののかたち」「ものの触覚」「ものの寸法」「考える・感じる」「つかむ・はなす」などなどなど、さまざま概念・機能の表現集を自分なりにつくっておくとよいですね。ついでに日本語の語彙のほうも増やしておくと万全です。利用ツールとしてはOxford DictionaryのThesaurusがお勧め。ペーパーバックは1000円以下。オンライン上にもありますよ。日本語類語辞典については残念ながらお勧めはありません。

「英作文による英語力診断」を改定しました。

「英作文による英語力診断」を改定しました。いちばん大きな改定ポイントは、オンライン/メールでフリーに受けられるようにしたこと。皆さん、または皆さんのまわりで、こんなちょっと変わった英語力検査を受けてみたいという方がいらっしゃれば、ぜひ。英文をお寄せいただいた方には、当方から後日、チェック表+診断表+解説をお送りいたします <成瀬塾 英作文による英語力診断検査> 以下は、皆さんの英語力における問題点、改善点を見つけ出すための検査であり、点数をつけるためのテストではありません。どうか緊張せずに取り組んでください。 問:つぎの日本語表現に相当する内容を英語で表現してください。なお、つくりだす英語表現は、ひとつだけに限りません。いくつでも大丈夫です。 ​ 1. 今日は会議がある。 2. 我々には休みが必要だ。 3. 今回の事故では9人が死亡した。 4. その仕事は今日中に終えなくてはいけない。 5. 明日、山田君はブラジルに向けて出発する。 6. その問題にどう対処するかを昨日からずっと考えている。 7. アドバイスをいただけたら有難いのですが。 8. 言葉は実にいろいろな働きをする。自分の願望を他人に示すことも、また他人を自分が望むように動かすことも、言葉でできる。見聞きしたこと、思ったり考えたりしたことを誰かに伝えるのも、言葉の大切な働きのひとつである。 9. キャッチコピーを変えただけで広告の反応率が20倍になることもある。重要なことはお客様の心を掴むことだ。そのためには「自分がお客ならどう思うか」を常に考えなければならない。 10. 営業の成瀬です。いつ

知的英語の学習と英会話の学習は違うものです

「今日は会議がある。」という日本語表現に対してWe have meeting today.という英語表現を対応させるのはまずい、と書きました。 けれども、読んでる方のなかには「べつにまずくないのではないか? 会話であればそれでも十分にコミュニケーションがとれるのだから」と思われている方もいるかもしれません。 そのとおりです。会話であればWe have meeting today.で十分にコミュニケーションがとれます。そして十分なコミュニケーションがとれるかどうかを最重要視する「コミュニカティブ・アプローチ」の立場からすれば、それ以上のことをとやかくいうことは、かえって学習者を委縮させることになって逆効果です。 コミュニカティブ・アプローチでは、まず十分なコミュニケーションをとれるようにすることこそ先決であり、いわゆる「文法的」知識・技能は実際のコミュニケーションを積み重ねていくなかで徐々に改善されていくと考えます。この考え方は現在の中学高校での英語教育の基盤になっています。 日本語に置き換えてみれば、たとえば、こういうことです。 もし誰かに今日は会議があることを伝えたいのであれば、文法的な間違いばかり気にしながら不明瞭な発音で「キャウハ、キャイギギャ、アリュマシュ。」のようにたどたどしく伝えるよりも、明確な日本語発音で「キョー、カイギ、アル」とカタコトではっきり伝えるほうが、よほど優れているということです。 コミュカティブ・アプローチで大事なのは、音声の訓練です。それさえしっかりしておけば、あとは本当に最小限の言語規則をまもって単語を並べていけばよいのです。 私は、言語教育に対

だからといって、どんな英語表現でも大丈夫、という訳ではありません。

ここまでで、「ある日本語表現には、それに対応する英語表現は数多くあり、それに対応するひとつだけの「正解」表現がある訳ではない。」ということが、お分かりいただけたかと思います。 しかし、だからといって、どんな英語表現でも大丈夫、という訳ではないのです。じつは、この点も、とても大事です。 たとえば「今日は会議がある。」という日本語表現に対して、We have meeting today.という英語表現を対応させたとします。これはまずいのです。 なぜなら「meeting」という、aもtheもつかず複数形にもなっていない名詞のかたちは、具体的な会議を示すのではなく、「会議というもの」という抽象的な概念しか示すことができないからです。何故そうなのか、ということを説明するととても長くなりますので、ここでは、英語の名詞表現というのはそうした特性を持っているのだと考えてください。 We have meeting today.という英語表現を敢えて日本語で表現するとすれば「今日私たちは会議というものを持っている。」というような意味合いになります。これでは意味不明ですね。したがって、大丈夫ではありません(なおグーグルで検索するとWe have meeting…の例もかなり出てきますが、ほぼすべて英語ノンネイティブによる誤用の例です)。 成瀬塾の「英作文による英語力に関する診断検査」で検出したいのは、じつはこうした部分での被験者の英語力トラブル(疾患)です。つまり、国際英語の表現者としてどうしても維持しておかなければならない認識能力や言語表出能力を、被験者がどの程度有しているのか、もし有していないと

「今日は会議がある。」に対して、具体的にはどのような英語表現が対応するのでしょうか。

「今日は会議がある。」に対して、具体的にはどのような英語表現が対応するのでしょうか。 まずはWe have a meeting today.が考えられますね。けれども、これは数ある対応英語表現のうちのひとつに過ぎません。 その他の表現としては、たとえばThere is a meeting today.が挙げられます。細かな文脈設定は抜きにして、この英語センテンスも「今日は会議がある。」という日本語内容に充分にマッチするものです。 そのほか、違う構文でいえば、A meeting is scheduled today.は十分に可能ですし、Today is a meeting day.だって可能です。 「会議」の部分に注目すれば、a meetingである必然性はなく、the meeting, meetings, the meetingなども可能です。したがって、We have the meeting today. We have meetings today. We have the meeting today. There are meetings today.などなど、さまざまなバリュエーションが可能です。 meetingという語彙をconferenceなどに変えることも当然ながらできます。We have a conference today. 「ある。」という部分についても同じでして、動詞はholdなどにもできます。We hold a meeting today. また、be going toなどを使うこともできるでしょう。We are going to have a meet

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