英作文をおこなうとき、具体的には、どのようなことが問題点となっているのだろうか

我々が実際に英作文をおこなうとき、具体的には、どのようなことが問題点となっているのだろうか。ここから、原文の日本語に関する問題点と、つくりだした英語に関する問題点に分けて考えてみよう。 まず原文の日本語に関連する問題点を考えると、第1には日本語との整合性の不備、つまり「誤訳」が挙げられる。だが、この点は英作文の場合にはあまり問題にならない。もとの日本語と少し内容がずれていても英作文の実践としては、それは致命的ではないからだ。もちろん、本当の翻訳という観点からは大問題なのだが。 第2には、英文に日本語文の構造や不備をそのまま反映してしまうという問題が挙げられる。いわゆる「直訳」問題である。「直訳」は英作文において非常によく生じるものであり、また後述する英文の情報構造や文体の不備にもつながるものである。ただし解決策はそれほど複雑ではなく、成瀬が提唱する「心の翻訳」モデルでの定番処理のひとつである「原文パラフレージング処理」を用いて、原文日本語をどんどんと書き換えてしまえばよい。それをうまくおこなえば、問題の大半は解消できる。 つぎに、つくりだされた英文に関連する問題点であるが、これについては次のように、まず4つの領域に大きく分け、さらにその中でも細かく分類して考えるべきである。 1. 文法・構文(名詞認識、動詞認識、SPM構造、他)関連 2. 語彙・表現(ラテン語系/ゲルマン語系、専門用語、コロケーション、他) 3. 関連情報構造(トピック・コメント、トピックフロー、焦点化、ウェイト、他)関連 4. 文体(シンプル/スタンダード/コンプレックス、報道/学術/行政/法務、他)関連 詳

世界のなかで日本人が日本人としての自信とプライドをもって仕事をしていくために必要なのは…

日本人の英語の最大の欠点は、自分自身の英語に対して自信がないことにある。そのためネイティブに少しでも間違いを指摘されると、もうそれだけで意気消沈してしまう。英語の達人などと呼ばれる人ほどそうであり、そうした人がこんどは他の日本人の英語の間違いを指摘している。 英語力のなかでも特に自分の書く英語に対しては、日本人は徹底的なまでに自信がない。自分の書く英文など英語ネイティブからみれば間違いだらけであって価値が低いものだと、勝手に判断して勝手に落ち込んでいる。この自己卑下感が、日本人が日本人として自信とプライドをもって仕事をしていくことを大きく阻害している。自分自身に自信とプライドのない人間のいうことなど、他の人間がきくわけがない。日本人の世界での存在感が薄い大きな理由がここにある。 この状況を打破するためには私たちは自信とプライドをもって英語の読み書きができるようにならなければならない。ではそのためにどうすればよいのかといえば、それは日本人としての国際英語の高度な読み書き能力の基準の設定であり、そしてそこに達するための具体的な訓練手段の構築と実践である。(以下別稿)

「地球の歩き方 トラベル会話1 米語/英語」をお奨めします。

先の投稿で、英語語彙力の増進のための最良の方法は実際に役に立つ英文のディクテーション/書き写し/暗誦だといいました。 では「実際に役に立つ英文」とはいったいどのようなものなのでしょうか? これ、けっこう難問ですね。「役に立つ」といっても本当にいろいろな場面が考えられますから。では「実際に役に立つ英文」とは、具体的にはいったいどのようなものなのでしょうか? これ、けっこう難問ですね。「役に立つ」といっても、本当にいろいろな状況が考えられますから。 そこで、ひとつだけ「実際に役立つ英文」の参考例文本をご紹介します。それが「地球の歩き方 トラベル会話1 米語/英語」です。 えっ、成瀬先生がトラベル英会話を推薦?などと驚かないでください。そりゃあ、私自身は旅行などしません。アメリカもイギリスもいったことはありません。そんな暇があったら、本をもっと読んだり、研究をもっと進めたいです。でも英語学習者がみんな私みたいな変わり者ではないことぐらいは、私だって知っています。 この本をつくった「地球の歩き方」編集室というのは、言語コミュニケーションの本質を本当によくわかっており、文型などといった言語的な特徴をベースとするのではなく、実際のシチュエーションごとに必要となる膨大な数の英語表現(それも最もシンプルなパターン)をまとめてくれています。ですから、このとおりに英文を暗記しておけば海外旅行の際に必ず「役に立つ」こと請け合いです。そしてそれと同時に、数多くの必須単語や必須文型も覚えることができます。 定価は1,028円、アマゾンの古本で買えば1円ですから、コスパも最高ですね。お勧めです。

新しい日本文明の芽が出る時代

さらに、続きである。 日本人にとって自分よりも先に自分の目標とする地点にまで到達している人が良き「先生」であり、また良き「教師」である、という、この日本人論は、明治以降の「文明開化」、そして太平洋戦争敗戦後の「米国文明化」という日本社会の最近150年の動きの理論的な説明基盤ともなり得る。 明治期も第二次世界大戦後も、欧米諸国は世界支配力を強めるために、日本だけではなく、すべての非欧米諸国に対して、欧米近代文明の普及のための「教育」に努めた。 だが、そのなかで欧米近代化に成功したのは、少なくとも当初は日本だけだった。 その理由は何かといえば、欧米諸国の「教育」が日本で成功したからでは決してなく、日本が欧米のことを自分よりも先に自分の目標とする地点にまで到達している「先生」だと強く認識し、そのうえで自分で自分を育てる能力の高さを発揮しつつ、みずからの力でその地点にまで到達したのだと考えられる。 そして現在の日本文明が元気がないのは、過去150年にわたって「先生」と認識していた欧米近代主義が、「先生」としてはふさわしくない時代になったと、日本人が(無意識ではあるものの)認識していることを示しているのではないだろうか。 とすれば、日本文明の将来に対して、私たちは特に悲観的になる必要はないだろう。なぜならば、日本人にはもともと自分で自分を育てる高い能力が備わっているのであるから、その能力を発揮して、今後は自分なりの文明を築いていけばよいのである。そしてそれが日本人に可能であることは、250年の江戸文明構築の歴史によって既に証明済みである。 このように考えると、現代とは、新しい日本文明の芽

日本人にとって教師とはなにか

為末大がいうように、自分で自分を育てる能力の高さが日本人のユニークな特性だとすれば、その文脈のなかにおいて、日本人にとっての「教師」とは、はたしてどのような存在なのだろうか。 私が思うに、日本人にとって最良の教師とは、何かを教えてくれる人ではなく、見本(お手本)になってくれる人ではないだろうか。つまり、自分よりも先に自分の目標とする地点にまで到達している人こそが、良き「先生」であり、同時に、良き「教師」ということである。 言い換えると、自分で自分を育てる能力が高い日本人にとっては「何かを教えてくれる」人は特に必要がなく、必要となるのは「お手本になってくれる」人の方ではないかと思う。まさに「先達は、あらまほしきことなり」(徒然草)なのである。 とすれば、「いかにわかりやすく教えるか」「いかに生徒のやる気を高めるか」「いかに生徒を積極的に授業に参加させるか」といった従来の「教育技術」論は、少なくとも日本人には有効に機能しないことになる。 すなわち、これまでの(欧米の理論に範をとった)教育理論は、その根底から崩れ去ることになり、そしてそれにとって代わるべき、日本人の独自特性に合った教育理論と技術の構築が必要となる。と、私は考えるのだが、いかがだろうか。

為末大の日本人論がおもしろい。

2017.7.25の日経新聞朝刊スポーツ面に、元陸上選手の為末大が「自らに問う日本的な強さ」というタイトルでエッセイを書いている。その内容が、単なる請け売りではない、独自で深い日本人論になっている。以下、その一部を抜粋する。 「私はコーチをつけずに競技人生を送った。なぜそれが可能だったかというと、自分で自分を育てることができたからだと思う。よく日本人はマニュアルを作ることや形式化することが得意でないと言われる。だが逆からいえば、そんなことをしなくても勝手にそれぞれが想像して動けるからではないか。 自分で自分を育てる能力とは、自己を客観視し、問題を見つけて改善し、さらにそれを継続すること、となる。(略) 人に聞かずに自分に問いかけて問題を探す。常に問題を発見しそれを改善しようとする。目標達成後もさらに向上しようと努力を続ける。これらが日本人の特性ではないかと考えている。 悪い方に転べば、質問や発言はなく問題を指摘するばかりで、成果ではなく努力で評価しがちになるが、良い方に転べば、自発的に人を成長させる強いエンジンとなる。」 自分で自分を育てることができることが日本人の特性だという論を、少なくとも私ははじめて聞いた。が、自分の経験から照らし合わせてみて、この日本人論は非常にしっくりとくる。また、その日本人的な特性が諸刃の剣であるという指摘も、そのとおりだと思う。この為末という人物、どうやらただものではなさそうだ。

問題は、学習をいかにして実践していくかです。

先の投稿で、英語語彙力増進のための最良の方法は実際に役に立つ英文のディクテーション/書き写し/暗誦、英作文であり、それが英語学習の王道であると述べました。 問題は、これをいかにして実践していくかです。「言うは易く、行うは難し」なわけで、わかっちゃいるけどできない、わけです。 では、どうすればよいのか。おさえるべきキーポイントは2点。「教材」と「学習方法」です。 まず、教材。ここでのキーポイントも2点。 ①基礎から応用までの全領域において綿密かつ体系的に組み立てられている教材であること、 ②すべての練習問題が(教養という点も含めて)実際に役に立つ(つまり練習のための練習にならない)教材であること。 つぎに、学習方法。ポイントは次の3点。 ①持続可能であること。 ②自学自習ができること。 ③外部からの適切/有益なフィードバック/アドバイスが得られること。 これらの条件を満たす教材/学習方法を成瀬塾で開発中です。骨格はすでにできており、現在教材づくりを鋭意進めているところなので、学習システム全体の完成まで、もうひと踏ん張りです。

英語の語彙力を高める具体的方法は…

先の投稿で、英語力で最も重要な要素は語彙力だと述べました。では、私たちが英語の語彙力を高めるには、どうすればよいのでしょうか? これも、成瀬先生のことだから「英語を英語として読んでいくうちに語彙の力はその文脈の中から自然と醸成されていく。したがって語彙力を身につけるには単語帳の丸暗記などではなく、英語を英語として膨大に読むこと。それに尽きる」などといった答えが期待されているのであろう、といった深読みは不要です。 実際のところ、英語の語彙力を高めるには、英語を英語として読むだけでは十分ではありません(もちろん、それも必要ですが)。 といって、たんに単語帳を丸暗記していったり、ボキャビルトレーニング本の問題を解く訓練をしてみたりするという方法は、皆さんには決してお勧めできません。 そんなことをしていると、英語語彙をただ覚えるというくだらないことに膨大な時間と労力を費やしてしまうことになり、その他のはるかに重要なことをおこなうことができなくなります。英語発音練習や英単語暗記といったくだらないことに膨大な時間を費やしていると、間違いなくその人は「英語バカ」になります。 英語語彙力の増進のための最良の方法は何かといえば、実際に役に立つ英文のディクテーション/書き写し/暗誦、そして英作文です。すなわち、膨大な英文をディクテーションし、書き写し、暗誦し、それと同時に、自分でも膨大な量の英語をつくっていくのです。これこそが、英語の語彙力増進の王道であり、そして英語学習の王道でもあります。

英語力の中で最も重要な要素は…

英語力の中で最も重要な要素は何だと思いますか?と尋ねられれば、どうせ成瀬先生のことだから「英語を心で感じ取る力である」などといった答えが期待されているのだろう、などといった深読みは不要です。 答えはきわめてストレート。語彙力です。十分な語彙力がなければ、英語を使いこなすことは100%不可能です。 では、ビジネスや学問といった実務的な場で英語を使って十分な仕事(読み書き、プレゼン、交渉、他)をするためには、どのぐらいの量の英語語彙が必要だと思いますか? 3000語や5000語? あるいは1万語? 数え方にもよりますが、国際英語の場(たとえば国連スタッフ)で過不足のない仕事をこなそうと思えば(専門用語を除いて)少なくとも2~3万語の語彙力は必要です。 英語という言語は他の言語に比べて語彙量がむやみやたらと多い言語です。語彙総数は30万~60万語といわれています。なお、長い歴史の中で語彙体系を洗練させてきたフランス語の場合には語彙総数は英語の3分の1から4分の1程度(15万~20万語)です。 このように語彙面からみても英語は言葉としての洗練度が足りず、国際言語としてはまったく不向きなのですが、それが世界の共通語としての地位を固めてしまったのは、まさに歴史のいたずらというべきでしょう。

「英語読み上げサイト」というものがあるのを御存じだろうか。

「英語読み上げサイト」というものがあるのを御存じだろうか。英文を当該スペースにペーストしたりPDFファイルなどをアップロードしたりすると、さまざまな音声パターンで読み上げてくれるサイトである。 合成音声であるから完全に自然な英語発音にはなっていないが、英語発音としての特徴はすべて兼ね備えており、また男女別、英米別、スピード別などさまざまな音声パターンが聴けるという点から、国際英語の音声練習用にはぴったりである。さらには、シャドーイングやディクテーションのトレーニングにも使える。 たとえばNatural Readerはそうしたサイトのひとつである。いちどご利用されてみてはいかがか。

英語力診断の具体例

成瀬塾の英語力診断テストを受けたある英語学習者が以下の①の日本語に対する英語として②の英文をつくりました。成瀬先生は、この学習者の英語力を5段階の2だと判定しました。 ①ことばは実にいろいろな働きをする。自分の願望を他人に示すことも、また他人を自分が望むように動かすことも、ことばで出来る。見聞きしたこと、思ったり考えたりしたことを誰かに伝えるのも、ことばの大切な働きの一つである。 ②Words work in many ways. We can express our desire to others or to ask others to do what you want by words. Telling others what you have heard, felt or thought is also an important function of words. 問題です。 (1) 成瀬先生はこの英語学習者の英語力を2だと判定していますが、これは妥当な判定でしょうか、あるいは不当なものでしょうか。また、あなたの診断判定は5段階の何でしょうか。その理由はなんですか。 (2) 成瀬先生がこの英語学習者の英語力を2と判定した理由は何だと考えられるでしょうか。できるかぎりたくさん挙げてください。 (3) この英語学習者が英語力の診断評価をさらに上げるためにはこの学習者は具体的に何をどのようにすればよいのでしょうか。考えられる点をできるかぎりたくさん挙げてください。

国際英語からネイティブ英語へ

成瀬のいうように日本人はまず国際英語を身につけるべきだという意見があるのは知っているが、実際には国際英語では通用しない状況が世界にはたくさんある。たとえばアメリカの大学に留学したときにはアメリカ発音の早口の英語を聞き取れて話せる力をしっかりと身につけないと授業にも参加できない。国際英語などではとても通用しない。 こうした意見をときとして間接的に耳にする。完全な勘違いである。なにが勘違いかといえば、ここではアメリカの大学に留学することが「国際的」という勘違いである。アメリカで勉強したいのであれば「アメリカ的」にならなければならず、従ってアメリカ英語を勉強しなければならないのは当然のことである。そのことを私は1%たりとも否定しない。 いいたいのは、そんなことではない。まず世界のすべての人々によく分かってもらえる共通言語としての国際英語を習得したうえで、その後にアメリカ英語であれ、イギリス英語であれ、オーストラリア英語であれ、インド英語であれ、必要があればその習得に努めるべきだといっているのだ。 だが、これまでの日本の英語教育はそうなっていない。最初の最初からアメリカ英語の習得を目指しているのである。そしてその結果として生まれくるのが、ネイティブ崇拝であり、それを背景とする無意識での英語(西欧)文明的価値イコール普遍的価値という歪んだメンタリティである。こうした状況が完全な間違いだと私はいっているのであり、その歪んだ状況を正すためにも国際英語を普及させなければならないというのが私の考えである。

「英語ネイティブ」の発音に対して異常なほどのあこがれと崇拝の感情を持っている英語学習者が一部だが存在する。

英語で授業をおこなう際には、私は日本人としての国際英語発音を使用している。ただしカタカナ発音では決してない。カタカナ発音はそもそも英語ではない。 具体的にいえば、発話スピードを適正に保つこと(早口にならない)、語尾の子音まできっちり発音すること(明確に話す)、リエゾンやリダクションといった発話エネルギー省力化のための音韻的特徴はなるべく消すこと(標準的に話す)に努めている。 なぜそうするかといえば、そのように話す方が、世界の誰に対しても、はるかによく内容が通じるからである。そしてそのことは、学術研究からも証明されている。 逆に、たとえば一部米国人のように、様々な非標準的な音韻変化を用いながら早口にまくしたてるように話すことは、国際英語の場では最もふさわしくないコミュニケーション方法である。ひとりよがりであるとしかいいようがない。 ところが日本人のなかには、そうした「英語ネイティブ」の発音に対して異常なほどのあこがれと崇拝の感情を持っている英語学習者が一部だが存在する。彼らにとっては「英語ができること」とは「英語ネイティブと同じ英語発音ができること」と同値であり、そして彼らのいうところの「英語ネイティブ」とは米国または英国出身の白人以外の何物でもない。 私が受け持つサイマルアカデミーの翻訳講座にはそうしたタイプの英語学習者は決してやってこないが、英語教育としての仕事の場では、ときとしてそうしたタイプの英語学習者に出くわすことがある。 たとえばだが、かつて某外資系有名アイスクリーム会社の社内英語研修の講師として出向いたときには、受講生の大半がそうしたタイプの英語学習者たちだった。

「外国語副作用」

「外国語副作用」という概念がある。内容は「慣れない外国語を使っている場面では、その人の思考能力は低下する=頭が悪くなる」ということである。以下、そのメカニズムについて簡単に説明しよう。 まず、人間の脳が一定時間内で情報を処理できる能力資源は有限であると規定する。これについてはおそらく異論はあるまい。 つぎに、言語で何かの知的作業を行う(会話する、議論する、他)場合には、その有限の情報処理資源を言語的処理と思考的処理の両方に同時並行的に使用しなければならない。「同時並行的」というところがミソである。 そして同時並行的に処理する中でも優先されるのは思考的処理ではなく、言語的処理の方である。なぜなら言語的処理がうまくできなければ、そもそもまともな思考ができないからである。 通常、言語的処理と思考的処理の両方を同時並行的に行ったとしても脳の情報処理資源が足りなくなることはない。すなわち言語的処理と思考的処理はいずれも過不足なく行われる。 ところが母語(日本語)ではなく外国語(たとえば英語)で何かの知的作業を行おうとする場合には、言語的処理に対して母語の場合よりもはるかに多くの情報処理資源を必要とすることから、思考的処理に利用できる脳情報処理資源の方が極端に少なくなってしまう。そのため十分な思考ができずに「その人の思考能力は低下する=頭が悪くなる」のである。 ここからわかることは、私たちが英語を使っているときには、ほとんどの場合、本来の自分よりも現実的に「頭が悪い」状態に陥っているということである。 いいね!他のリアクションを見る コメントする

私の目標は「クオリティの高い国際英語」の学習・実践の理論・技法の追求である。

この30数年にわたって翻訳者・英語教育者としての私の目標は「クオリティの高い国際英語」の学習・実践の理論・技法の追求である。 国際英語だからといって「コミュニケーションの道具なのだから伝わればよい」というスタンスを私は決してとらない。それは根本的に間違いだと考える。 国際英語を含めてすべての言語は単なるコミュニケーションの道具ではない。それは思考のベースであり、認識のベースであり、さらにいえば自分自身の姿そのものでもある。ゆえに例え国際英語であってもクオリティの低い表現を使うということは自分自身を貶める行為だと私は考える。言葉を単なるコミュニケーションの道具だと割り切れる人間を私はとても好きにはなれない。 ところでいま「クオリティの高い国際英語」をクォーテーション付き1語扱いでグーグル検索してみたら、1件だけヒットした。私のサイトだった。なんと、それほどまでに、私は少数派なのか。 https://sites.google.com/site/naruseonlineschool/english/102/03/05

「小さいが、まぎれもない場所を持つ」無名の人々、という生き方

渡辺京二の『気になる人』(晶文社)を読了した。熊本にいま住んでいる書店員、レストラン経営者、農家など、中央のマスコミには出ないが、自分のやりたいことを見つけてその実現に向けて黙々と取り組んでいる(帯の紹介文ふうにいえば)「小さいが、まぎれもない場所を持つ」無名の人々を、渡辺が訪ねてインタビューするという趣向の本である。 私もまた、「社会的成功」「自己実現」思考の価値観に毒されている人間のひとりだから、この本については九州の一地方に住んでいる無名の人たちへのインタビューということで、じつは最初はそれほど期待せずに読み始めた。 しかし違った。これは最近(つまりこの20年ぐらいに)読んだインタビュー本のなかでは、間違いなく最良の本のひとつである。 渡辺にインタビューを受けた人たちは、それぞれに自分で自分のやるべきことを見つけ、その実現に向けて長年にわたって黙々と仕事をこなし、そして小さいながらも自分の場所を確かにつくりあげている。有名になりたい、偉くなりたい、大金を稼ぎたい、といった、私たちの多くが陥りがちな浅薄な価値観に、彼らは捉われずに生きている。 熊本の無農薬ミカン農家であり画家である池田道明さんへのインタビューを読みながら私は、早く世に出たい、多くの人々に自分の仕事の価値を知ってもらいたいといつも願っている自分が、いかに間違った考え方をしているかを痛感した。無名に埋没して生きよという渡辺の言葉の本当の意味が、少しだがわかってきた気がする。 この本は、既存のメディアや教育から与えられたステレオタイプの「社会的成功」や「自己実現」を人生の目標としがちな私たちの多くにとって、本当の

日本語であれ英語であれ、よい文章を書こうとするならば

日本語であれ英語であれ、よい文章を書こうとするならば、これだけは覚えておかなければならない知識、これだけはできなければいけない技能というものが、確かにある気がする。 ではそれが何なのかをこのところずっと考えているのだが、いまの時点では、次の4つにまとめられるのではないかと思っている。 ①文章を書き換えるための知識と技能、 ②文章をまとめるための知識と技能、 ③文章を書く構想と戦略をつくるための知識と技能、 ④文章を編集・校正するための知識と技能。 これを4本の幹だとすれば、それぞれの幹にはかなり数多くの枝葉がついているのだが、いずれにしろ、この4つの知識と技能を習得するための実践的な学習システムを確立するのが、いまの私の目標のひとつである。

「自由英作文」への転換は、日本人による自己否定への道です。

従来の英作文教育は、英文和訳モデルを用いての疑似「和英翻訳」を展開しているにすぎないものでした。それは英語を英語として思考して表現することとはかけ離れたものであり、ひとことでいえば出来の悪い暗号文の作成技能にすぎないものです。そのため真の英文ライティング力の育成にとって無益であるだけではなく、真の日英翻訳力の習得にとっても非常に有害なものでありました。 こうした従来型の英作文の本質的欠陥に気づいた英語教育関係者は、こんどは日本語に捉われずにゼロから英語と書くという「自由英作文」の有用性を主張しはじめました。現在その主張は勢力を急速に拡大しつつあります。また大学英語入試問題においても従来型の英作文に代わって自由英作文の問題が増えつつあります。 私は、この旧来型の英作文から自由英作文への転換を、日本の英語教育の進歩ではなく退歩だと捉えています。それは、私たち日本人が翻訳を基盤にして千数百年にわたって営々と創り上げてきた日本文明の存在意義を、みずから否定するものだからです。 私たち日本人がこれからの世界で日本人として十二分に活躍していくためには、日本語の世界と英語の世界とを暗号解読のかたちでつなぐ旧来型の英作文モデルを否定したうえで、それに代わるべき、よりよい英作文モデルを構築してしかなければなりません。日本語でものを考えると同時に国際英語でものと考えるという「複眼の思考」が、いま私たち日本人には求められており、それができたとき日本人は世界文明の中で確固たる地位を占めることができるでしょう。 しかしながら「自由英作文」という思想は、そうではありません。日本語の世界と英語の世界とをつな

渡辺京二の本は、読めば読むほど味が出る。た

渡辺京二の本は、読めば読むほど味が出る。たとえ私であっても、少なくとも80歳まで毎日毎日、本を読み、それなりに考え、それなりに書いていくと、ひょっとするとこのレベルの近くまではいけるかもしれないなあ、などとつい勘違いさせてくれる、市井の研究者としての良き先達です。『女子学生、渡辺京二に会いに行く』(渡辺京二、津田塾大三砂ちづるゼミ、文春文庫)は、渡辺京二への入門書として最適かも。 引用したい部分は全部だけど、そのうちのひとつだけ。「僕は無責任態勢なのね、わりと。そうしないと生きていけないもの。良心主義じゃ生きていけない。良心主義で生きていける人はタフだよね。」

「これからはAIを使った翻訳ソフトウェアが開発されるのだから翻訳という仕事はいらなくなるのでは」という考えを持っている一般人は多いようです。これは間違いです。

「これからはAIを使った翻訳ソフトウェアが開発されるのだから翻訳という仕事はいらなくなるのでは」という考えを持っている一般人は多いようです。これは間違いです。 たしかに翻訳ソフトの開発は今後急激に進みます。下に示したように旅行業や病院などでは急速に翻訳ソフトが導入されていくでしょう。その精度に対して、最初は驚嘆と称賛の声があがるに違いありません。 しかしそうしているうちに、翻訳ソフトが「できること」と「できないこと」が境界線がくっきりと見えてくるはずです。そしてそれは人間の「心」とは何か、ということへのひとつの回答でもあるはずです。 このとき、従来の英文和訳・和文英訳モデルは、ようやくその使命を終えて翻訳の舞台から消え去ります。そして私のつくった「心の翻訳」モデルの本当の意義が、そこでようやく理解されることになるでしょう。 そのとき、翻訳は新たな時代を迎えることになります。私としては、はやくその日がきてほしいと願っています。

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