英語ノンネイティブには英語で一定の誤用をおこなう「権利」がある。

英語ノンネイティブが国際英語を利用する際には、一定の誤用をおこなう「権利」がある。一方で、英語ネイティブが国際英語を評価する際には、一定の誤用を許容する「義務」がある。この権利と義務は、世界の人間が自由と平等のうえで関係を結ぶために必ず守られなければならない普遍的な原理原則である。

「音楽に正面から向き合わないと、心から音楽を楽しめませんよ」を英語にすると・・・

「のだめカンタービレ」で世界的な指揮者シュトレーゼマンが主人公の「のだめ」にいうセリフです。同作品はもともとコミック作品ですが、映画にもなっているので映画のセリフということで。 さて英語です。 Unless you face music squarely, you won’t be able to enjoy it with all your heart. それにしても、いいセリフですね。「音楽」の代わりにほかのどんな言葉を入れても大丈夫だと思います。あなたなら、どんな言葉を入れますか?

「それって、大人の都合なんじゃないのぉ~~」を英語にすると・・・

ごぞんじ、クレヨンしんちゃんの名文句。もし本当に子供からこういわれると、かなり心臓に悪いよね。さて、英語です。 It's only for the adult's convenience. Is it? うーん、オリジナルほどの迫力はないが、それでもグサッとくる。ところで、しんちゃんって悪ガキだけど、いつも120%で頑張ってるよね。おらー、どっちかってゆーと、きらいじゃね~。

小さな根城をつくりたい

先日の土曜日、目黒にある香取さんの個人英語教室にお邪魔して大勢の生徒さんの前で1時間半ほどお話をした。お話の内容はといえば、翻訳での等価などといった考え方は有害無益であるから全部捨ててしまえ、という正統派の翻訳論者からいえば実にカゲキ極まりない主張であった。 そのあと、生徒さんたちとお酒を飲みながらお話をした。香取さんの生徒さんたちなのであるから全員が極めて優秀かつ真面目なのは当然のことである。じつに楽しいお話タイムであった。ありがとうございます。 本音をいえば、私は翻訳論なんぞというものにほとんど興味がない。そんなものは犬に食われてしまってかまわない。興味があるのは、私自身、そして私の目の前にいる生徒さんたちが今後どのようにすれば翻訳という仕事を通じて有意義で楽しい人生を送れるのかということである。 世の中は急速に動いており、従来のやり方のままでは翻訳という仕事が人生を有意義かつ楽しいものにしてくれる可能性が極めて小さくなってしまった。ではどうするのか。思い切って翻訳稼業をやめちゃうのか、それとも、新しいやり方を生み出して、少なくとも私とその仲間たちだけでも面白くて楽しい翻訳人生を歩めるようにするのか。 私は後者の道を歩みたいと思っているので、いろいろと考えたり工夫をしたりしている。翻訳での等価という考えなんぞは捨てちゃえという主張も、そうした考えや工夫のひとつである。 とにかく工夫に工夫を重ねて、自分と自分の仲間のための小さな根城をつくりたい。そこで楽しくいつまでも仕事をしたい。それがいまの私の目標である。

「非常に笑うべきことのようでもあるが、実は笑えない」話

「脱構築主義自体をとりましても、レヴィ=ストロースやフーコーはもう古くて、最先端はデリダなんだ、いやそうじゃなくてドゥルーズなんだといった具合に、どんどん最前線が移動している。こういう状況、西洋から絶えず新傾向―新潮流が入ってきて、それをいち早く自分のものにした若い奴が老人たちをバカにして葬り去っていくという状況は、やはり日本の学問が明治以来ずうっともってきた形、仕組みでありまして、まあ非常に笑うべきことのようでもありますが、実は笑えないんですね。日本の学問というものはやはりまだ百年にしかなりません。西洋的な知を取り入れてものを考え出してから百年にしかなりませんので、やはりどうしたって、ヨーロッパの新しい動向を先に取り入れた奴が勝ちだということが今でもあるわけです。」(『さらば、政治よ 旅の仲間へ』、渡辺京二、晶文社、pp.182-3) このコメントは1980年になされたものだが、37年後の現在でもその状況はあまり変わっていないように見える。もちろん一部の学問領域では、こうした状況を乗り越える努力がなされてきているのだが、少なくとも私の仕事領域である翻訳研究と経済研究に関しては、いまでも「欧米の新しい動向を先に取り入れた奴が勝ち」というゲーム規則が厳然として存在する。そしてそれは「非常に笑うべきことのようでもありますが、実は笑えない」のである。 そのなかでも特に「笑えない」のが日本の翻訳研究である。Translation Studiesなるものが欧米で形をなしてきたのは30-40年前のこと。ちょうどこの文章が書かれた頃のことだ。それまで欧米の学問世界には「翻訳研究」と呼べるジャ

『和文英訳の修行』(佐々木高政)は私が自信をもってお奨めできる唯一の英作文トレーニングブック

既存の英作文参考書として私が自信をもってお奨めできるのは、この『和文英訳の修行』(佐々木高政)、ただ一冊のみ。 読んでいてつくづく感じるのは、本当の本物は古びないということ。65年前(初版が1952年)の本ですが、今もなお最良の和文英訳トレーニングブックです。 ただ、残念なことにほぼ絶版に近い状態でして、アマゾンでも価格が5000円になっています。これではなかなか普通の英語学習者には手が出ない。そこで、この本に最大の敬意を表しつつ、これに匹敵する(あるいはこれを越える)内容の英作文トレーニングブックをつくりだすことが、私の目標のひとつ。

『グレッグ・アーウィンの英語で歌う、日本の童謡 』ご紹介

『グレッグ・アーウィンの英語で歌う、日本の童謡 』という本のご紹介です。 この本では「春の小川」「あかとんぼ」「ふるさと」「七つの子」など日本の代表的な童謡を英語の歌詞で歌っています。翻訳もかなりきっちりできていてオリジナルの歌詞の心をかなりうまく伝えています。お勧めです。アマゾンで購入できます。 英語の歌を英語発音の教材として使うのはたいへんによい試みなのですが、問題は、それが往々にして英米文化への偏向を強めてしまうことにあります。英語の歌に隠されている文化的なバイアスにさらされてしまうのです。ディズニーソングなどはまったく論外にしても、マザーグースの歌であってもそうした弊害は避けられません。特に小中学生に英語を教える際には、こうした文化的バイアスを注意深く避けなければなりません。 そうした弊害を避けるためにも、また日本文化の国際性を認識させるためにも、このような日本語の歌の優れた英語翻訳教材を小中学生の英語教育に導入するべきだというのが私の考えです。成瀬塾でも近日中に発音講座の一環としてクラスを持ちたいと考えています。

"Charlotte's Web"のリーディングクラス開講予定のお知らせ

本のご紹介です。E. B. White作、"Charlotte's Web"は、1952年初版以来、世界23カ国で4500万部が売れているという世界の大大ベストセラー。日本語訳では『シャーロットのおくりもの』(さくまゆみこ訳)として出版されています。 このお話は単なる子供向けのものではなく「生きる」ことの意味を深く考えさせてくれるものです。英文はシンプルかつ洗練された最上級品。まさに読むに値するものです。 ちなみにCharlotteとは、少女の名前でも豚の名前でもなく、クモの名前です。 成瀬塾では近日中にCharlotte's Webのリーディングクラスを開催する予定です。乞うご期待。

英語をよく知れば、英語にビビらなくなる

日経ビジネスのオンラインに「「ビビらない習慣」をつけるただ1つのポイント」という記事を見つけた。(http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/258310/100600111/?P=1) この記事で紹介している「ビビらない習慣をつけるただ1つのポイント」とは何かというと、それは「相手をよく知ること」である。相手のことがわからないから、我々はビビる。相手のことがよくわかれば、ビビることはない。 これは我々が英語話者に対するときの典型的なパターンである。 なにを隠そう、私も若い時分にはずいぶんと英語にビビった。英語を流暢に話すというだけで、相手に対して気後れした。英語で書かれているというだけでなんだか高尚なことが書かれているような気がした。 だが数十年のあいだ勉強を続けてきて英語をかなりよく知った現在、私は相手が英語を話そうとその文章が英語で書かれていようとも、ほとんどビビらなくなった。 日本語で話そうと英語で話そうと、中身のある話は中味のある話であり、くだらない話はくだらない話である。日本語で書かれていようと英語で書かれていようと読むに値する本は読むに値するのであり、そうでない本はそうでないのである。じつに当たり前の話なのだ。 だがこの当たり前のことにたどり着くためには、英語という相手のことをよく知る必要がある。それが英語でビビらない習慣をつけるただ1つのポイントである。

日本語で認識・思考・表現するとはどういうことか

日本語で認識・思考・表現するとはどういうことか、英語で認識・思考・表現するとはどういうことか、そのふたつの世界を自由に往来するとはどういうことか、それを実現するためには何をどのようにすればよいのか――これらの問いは、私がずっと考え続けてきたものであり、今後もずっと考え続けていくものである。若い時分にこうした根源的な問いに出会えたことは、とてもありがたいことだったと思っている。 私には研究仲間が一人もいない。大学のなかにも、街のなかにも、本当に一人もいない。それは、この根源的な問いを本当の意味で共有できる人間が一人も見つからなかったということである。若いころはそのことが寂しくもありまた不安でもあったが、いまはそんなものかとようやく割り切れるようになった。パーティを組んでの登山も面白いのかも知れないが、単独行だって捨てたものではない。まだまだ頂上は見えないが、これまで同様、休まずたゆまず一歩ずつ登っていくことにしよう。

「事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ!」を英語にすると・・・

ドラマ「踊る大捜査線」の決め文句です。深津絵里のファンなのでよくみていました。さて英語です。 The crime is here on the street, not in your conference room! on the streetは街中でという意味。in the streetでもかまいませんが、onはその上、inはその中、のイメージですから、in the streetなら、ある一定の区域のなかで、といったイメージがつきます。on the streetであれば、そうしたイメージはつきません。 in your conference roomは、in a conference roomでもよいのですが、yourを使うことで、あんたがいまいるそこじゃない!というイメージが出ます。 もちろん、on your conference roomはだめ。inやonといった前置詞については、意味ではなく、その語のもっているイメージをしっかり把握しておくことが大切です。

「同情するなら金をくれ!」を英語にすると・・・

1994年のテレビドラマ「家なき子」で主人公の安達祐美がいったセリフです。主人公は12歳の設定になっており、当時の流行語大賞にも選ばれました。それにしても、えげつない日本語ですね。ドラマの内容もかなりえげつないものだったようですが、これが一般大衆には受けたようで高視聴率をマークしたと資料にあります。さて、英語です。 If you feel pity for me, gimme money! feel pity for~は「~に同情する」です。ただしpityは自分より劣った人間や弱い立場にある人間に対して憐れみを感じるという意味あいがあり、文脈によっては相手を見下したいい方に聞こえます。その意味でも、ここではぴったりでしょう。同じ「同情する」でもsympathizeなどにはそうした意味合いはありません。 「気持ちを分かち合う」という意味あいを持つ英語には、このほかにcommiserate(commiseration), condole(condolence), console(consolation), compassionate(compassion), empathize(empathy)などがあります。con/comという接頭辞は「ともに」という意味(empathizeのemはもともとinで「中に」の意味)。 gimmeはgive meの俗語表現(スラング)。そのほかの有名な俗語表現としてはwanna(want to)、lemme(let me)などがあります。いずれもくずれた英語発音を文字化したもの。こうした俗語表現を使う日本人が使うととても奇妙です。外国人が「それ、やっ

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