「自由英作文」への転換は、日本人による自己否定への道です。

従来の英作文教育は、英文和訳モデルを用いての疑似「和英翻訳」を展開しているにすぎないものでした。それは英語を英語として思考して表現することとはかけ離れたものであり、ひとことでいえば出来の悪い暗号文の作成技能にすぎないものです。そのため真の英文ライティング力の育成にとって無益であるだけではなく、真の日英翻訳力の習得にとっても非常に有害なものでありました。

こうした従来型の英作文の本質的欠陥に気づいた英語教育関係者は、こんどは日本語に捉われずにゼロから英語と書くという「自由英作文」の有用性を主張しはじめました。現在その主張は勢力を急速に拡大しつつあります。また大学英語入試問題においても従来型の英作文に代わって自由英作文の問題が増えつつあります。

私は、この旧来型の英作文から自由英作文への転換を、日本の英語教育の進歩ではなく退歩だと捉えています。それは、私たち日本人が翻訳を基盤にして千数百年にわたって営々と創り上げてきた日本文明の存在意義を、みずから否定するものだからです。

私たち日本人がこれからの世界で日本人として十二分に活躍していくためには、日本語の世界と英語の世界とを暗号解読のかたちでつなぐ旧来型の英作文モデルを否定したうえで、それに代わるべき、よりよい英作文モデルを構築してしかなければなりません。日本語でものを考えると同時に国際英語でものと考えるという「複眼の思考」が、いま私たち日本人には求められており、それができたとき日本人は世界文明の中で確固たる地位を占めることができるでしょう。

しかしながら「自由英作文」という思想は、そうではありません。日本語の世界と英語の世界とをつなぐ旧来型モデルを否定すると同時に、それは日本語の世界と英語の世界をつなぐこと自体を否定してしまっているのです。日本語での思考と英語での思考をすっぱりと切り離すということが日本人の精神基盤にどのような影響を及ぼすかということに対する深く広い文明的考察が自由英作文という発想では完全に欠落しています。

従来型の暗号作成型の英作文モデルを否定するのはよいです。それは理にかなったことであり、また必要なことです。しかし、だからといって日本語の世界と国際英語の世界とつなぐという行為そのものを否定するは、まさに「産湯とともに赤子を流す」行為です。このままでいくと日本人は最も大事なものを産湯とともに流してします可能性があります。

いま私たちが行うべきは、日本語の世界と英語の世界とを暗号解読のかたちでつなぐ旧来型の英作文モデルを否定したうえで、それに代わるべき、よりよい英作文モデルを構築することにあります。そして、その最有力候補のひとつが私のつくった「心の英作文」モデルであってほしいと私は願っています。

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