日本人にとって教師とはなにか

為末大がいうように、自分で自分を育てる能力の高さが日本人のユニークな特性だとすれば、その文脈のなかにおいて、日本人にとっての「教師」とは、はたしてどのような存在なのだろうか。

私が思うに、日本人にとって最良の教師とは、何かを教えてくれる人ではなく、見本(お手本)になってくれる人ではないだろうか。つまり、自分よりも先に自分の目標とする地点にまで到達している人こそが、良き「先生」であり、同時に、良き「教師」ということである。

言い換えると、自分で自分を育てる能力が高い日本人にとっては「何かを教えてくれる」人は特に必要がなく、必要となるのは「お手本になってくれる」人の方ではないかと思う。まさに「先達は、あらまほしきことなり」(徒然草)なのである。

とすれば、「いかにわかりやすく教えるか」「いかに生徒のやる気を高めるか」「いかに生徒を積極的に授業に参加させるか」といった従来の「教育技術」論は、少なくとも日本人には有効に機能しないことになる。

すなわち、これまでの(欧米の理論に範をとった)教育理論は、その根底から崩れ去ることになり、そしてそれにとって代わるべき、日本人の独自特性に合った教育理論と技術の構築が必要となる。と、私は考えるのだが、いかがだろうか。

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