翻訳者というのは本質的に労働者なのだ

財務翻訳コースの受講生のなかに今回(11/29)の翻訳祭のセッションの司会をされていた方がいた。お昼休みにお話を伺うと、その方が司会をされたセッションでは「機械翻訳とそのプレエディット/ポストエディット」というテーマで話がずんずんと進んだそうだ。「結局のところ、翻訳者としては、プレエディット、ポストエディットを仕事として受け入れるしかない状況になっているようです」というのが、その方のコメントだった。

プレエディット、ポストエディットは、そもそも翻訳ではない。エディット(編集)である。であるから、「翻訳者が、仕事としてそれを受け入れる」ということは、あり得ない。もしもそうした仕事をするのならば、それは「翻訳者ではなくなり、編集者として仕事を受け入れる」というべきである。翻訳者から編集者へと職業そのものを変えるということだ。

それでよいと思うのであれば、それでよいだろう。だが、長年培ってきた翻訳の技能を敢えて捨ててまで、なぜ編集者になろうとするのか。目先の仕事がただほしいだけであるのならば、その将来は間違いなく真っ暗である。

現在、私たちは第4次産業革命の時代の真っただ中に生きている。メディアなどはこの産業革命のことをまるでバラ色のように囃し立てているが、だまされてはいけない。第1次産業革命時のイギリス社会でのブルジョアジーによる搾取、そしてその搾取の餌食となった人々(労働者階層)の悲惨な人生を思い起こすべきだ。もちろん時代が違うのだから、当時と同様の生活の窮乏が起こるとはいわない。だが、その本質は同じである。

翻訳者というのは本質的に労働者なのだ。そして会社とは本質的に資本家である。そして第4次産業革命のど真ん中にあるいまここにおいて、資本家たる会社が労働者たる翻訳者を選別淘汰することにより、自己利益の拡大を図っているのである。機械翻訳/プレエディット/ポストエディットという議論の本質はそこにあり、そこにしかない。そしてその最も本質的なことを、ほとんどの翻訳者は忘れているのではないか。あるいは、見ることそのものを恐れているのではないか。

だが、そうしているうちに事態は急速に進んでいる。きわめて近いうちに翻訳者という名の労働者は存在できなくなるだろう。翻訳マシンがそれにとって替わり、そしてそのマシンが吐き散らしたゴミの掃除係として「プレエディター/ポストエディター」という仕事が生まれるだろう。

第4次産業革命は着々と進行するだろう。それを個人の力で止めることなどできない。ではどうするのか。まずするべきことは、そうした流れからなんとしても脱出することである。決して呑み込まれてはいけない。そして濁流を横眼に見ながら、個人としてできる対策を練り上げることである。本当の翻訳者としてこれからも生き延びる方法は必ず見つかると、強く信じながら。

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