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January 7, 2019

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You! Control yourself! Take a good look at this insignia!

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「ええい、静まれ、静まれ。この紋所が、目に入らぬか!」

September 28, 2017

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機械翻訳は翻訳ではない。「翻訳もどき」である。「翻訳の標準化」とは人間を人間として扱わないことである。

December 20, 2017

サイマル・アカデミーの翻訳クラスの講師となってから4年たった2006年の秋に、私はサイマル・アカデミー産業翻訳クラスの受講生のために「翻訳講座事始」という60ページほどの小さな冊子をつくった。今から11年前のことだ。

 

内容は言葉、翻訳、翻訳者、産業翻訳などについて私の考えをまとめたものであるが、その中に現在JTFなどが進めている「機械翻訳」「標準化」などの潮流に関するコメントもあるので、その部分を以下に抜粋しておく。私の考えは11年前もいまも変わらない。一言でいえば機械翻訳は翻訳ではない。「翻訳もどき」である。「翻訳の標準化」とは人間を人間として扱わないことである。なお、「翻訳講座事始」についてはウェブサイト上で全文を公開しているので(https://sites.google.com/site/honyakukouzadouchuki/)、ご興味のある方はご覧いただきだい。

 

☆☆☆

 

(以下、『翻訳講座事始』より抜粋)

 

翻訳文は造花ではない。生きた本物の花でなければならない。豊かな生命感にあふれ、かぐわしい香りを放つ、サクラでありバラでなければならないのである。翻訳という仕事は、英語の花に似せた日本語の造花をつくりだすことでは決してない。もとの花とたいへんよく似てはいるが、しかし正真正銘の日本語の花をつくりだしていくことが、翻訳という営みの本質である。

 

こうしたことをいうと、それは文学などの翻訳の話であって産業翻訳とは関係がないのではないかという意見がよくある。そんなことはない。政治であれ法律であれビジネスであれ、言葉はつねに生きていなければならない。つくりものでよしとした途端、そこにある人間の営みもまた、その生命力を失う。政治は腐敗し、法律は束縛と化し、ビジネスは単なる金儲けの道具となる。少なくとも、私はそう考えている。

 

生きた花ならば、多少問題があっても育てようでは大輪の花となる可能性もあるだろう。しかし、たとえどんなに美しくとも造花はしょせん造花である。もし造花をつくるのであれば、なにも人間が手作業ですることはない。コンピュータ制御で大量生産をするほうが、はるかに生産性が高い。(略)

 

翻訳者は優れた読み手であると同時に、優れた書き手でもなければならない。しかし優れた書き手であるということは、その人が「こなれた」「自然な」文章をつくれるということでは決してない。それは第一に、書かれた文章から書き手の「心」が読みとれることである。いいかえれば文章が生きているということだ。第二に、読み手に対してその思いをうまく伝えたいという書き手の強い意志が感じられることである。なんとかして自分の心を相手に伝えたいという思いはコミュニケーションの原点である。そして第三に、相手にうまく伝えるために正確でわかりやすい表現が必要となる。この第三が文章力とよばれるものである。文章が「こなれて」いたり「自然」であったりするのは、この文章力の一部だと考えていい。そして優れた書き手とは、この3つの条件すべてを兼ね備えた人間のことをいうのである。

 

だが、もしも心を失い、伝える意志をなくしてしまっていれば、あるいは、最初からそうしたものを持っていなければ、どんなに優れた文章力を持っていたとしても、それはよい書き手ではない。それよりは、たとえ翻訳調が少しばかり残っていようとも、あるいは文章が少し荒っぽくなろうとも、とにかく自分の心を読み手になんとかして伝えようとする強い意志をもっているほうが、はるかによい書き手である。

(「3.何を教えないか」より)

 

☆☆☆

 

これからの翻訳者はその大多数が翻訳「労働者」になっていくはずである。いま進みつつある知識革命のなかで、そうした翻訳労働者とは、ちょうど産業革命時の工場労働者にあたる存在だと思えばよい。極端に短い納期、極端に安い単価、コンピュータを使うのではなくコンピュータに使われる――おそらくこれが「ふつう」の翻訳者のすがたとなるだろう。なんだか「女工哀史」ならぬ「翻訳者哀史」が書けそうである。

 

いまのところこうした翻訳のあり方はマニュアルの世界にとどまっているが、考えてみれば訳文の「使いまわし」管理であればマニュアル以外の翻訳ジョブにも十分に活用できる。たとえば契約書や会計文書などは定型文がきわめて多い。であればTradosを使ってコストと品質を効率よく管理できないかと考えるのは当然のことだ。近い将来、翻訳業界ではTradosが多くの分野でデファクトスタンダードになっていくことだろう。そして翻訳者は一日に数万字を「訳す」のではなく「処理する」ことになるだろう。そして実質的な翻訳料はどんどんと下がってゆくはずだ。こうして翻訳者とは情報処理業界における末端プログラマと同列の存在となる。

 

そんなバカな、あまりに大げさすぎるなどと思っているとしたら、それはあまい。グーグルが世界中の知識をオンライン化しようとしている時代だ。歴史的な革命期である。翻訳という仕事もそれにあわせて急速かつ断続的に変化していくはずだ。そのことを受講生の皆さんは決して忘れないでほしいと思う。そして翻訳者という名の情報処理ワーカーになるのではなく、本当の翻訳者を目指してほしいと思う。

(「9.キャリアプラン」より)

 

 

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