日本文明にとって翻訳とは価値創造の営みである。

このところ欧米で盛んになってきたTranslation Studiesでは、翻訳の目標を「原文を出来る限り忠実に訳文に写しとること」だとしている。最良の翻訳とは最良のコピーである、という考え方だ。

この考え方には、聖書の翻訳という文化的背景がある。聖書の言葉は神の言葉であるから、その御言葉を世界のすべての言葉で出来る限り忠実に再現することが宣教師たちの使命であった。そしてそれが現在の西欧での翻訳の原点となっている。

現在の日本の翻訳学研究はそうした西欧の翻訳の原点を深く考察することもなく、いま西欧で生じている学問の動きだけを輸入して日本における翻訳を論じている。日本に連綿として続いている輸入学問の典型であるが、それが翻訳という輸入学問の基盤でも生じているのである。Translation Studiesを「翻訳学」(「翻訳研究」としないのはエラそうでないから)と訳し、equivalenceを「等価性」などと訳してそれでコト足れりと考えているところなどは、悲劇的であるだけではなく喜劇的でもある。

日本文明にとって翻訳とは単なるコピー行為ではない。断じてない。日本文明とは翻訳によって創りあげられてきた文明なのだ。日本語人は翻訳を通じて新たな価値を生み出し、それによって独自の高度文明を築き上げてきた。それは世界の歴史のなかでも他に類を見ない独自の営みであった。

日本文明にとって翻訳とは価値創造の営みである。原文作者と翻訳者と読者とが一体となってそれまでにはない新しい価値を生み出していくこと――それが日本語人にとっての真の「翻訳」である。それは神の言葉を忠実に写し取ることを原点とする西欧のtranslationとは本質的に異なるものであり、そしていまの世界に強く求められているのは西欧でのtranslationなどではなく、私たち日本人が行ってきた「翻訳」の方である。

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