鳥飼玖美子さんの『『英語教育の危機』のご紹介

この前にご紹介した沼野充義さんの毎日新聞の書評のご紹介に対しては、私にとって予想外といえるほどの嬉しい反応がいくつかあった。それに気を良くして、今回はその書評で紹介されている鳥飼玖美子さんの『『英語教育の危機』の「まえがき」の一部分を、以下にご紹介する。

☆☆☆

まえがき

英語教育改悪がここまで来てしまったら、どうしようもない。もう英語教育について書くのはやめよう、と本気で思った。それなのに書いたのが本書である。

英語教育についての書を何冊も刊行し、あちこちの講演で語ってきて、もうやめよう、と思うようになったのは、英語についての思い込みの岩盤は突き崩せないと悟り、諦めの境地に達したからである。

どんなに頑張って書いても話しても、人々の思い込みは強固である。曰く「グローバル時代だから英語を使えなければ」「でも日本人は、英語の読み書きは出来ても話せない」「文法訳読ばかりやっている学校が悪い」「だから、英語教育は会話中心に変えなければ」という信条を多くの人たちが共有している。

そうではない、英語をコミュニケーションに使うというのは、会話ができれば良いというものではない、しかも今の学校は、文法訳読重視ではなく会話重視で、だからこそ読み書きの力が衰えて英語力が下がっている、といくら説明しても、岩盤のような思い込みは揺るがない。政界、財界、マスコミ、そして一般世論は、ビクともしない。

結果として的外れの英語教育改革が繰り返され、行き着いた先は、教える人材の確保も不十分なまま見切り発車する小学校での英語教育であり、大学入試改革と称する民間英語試験の導入である。ここまで来てしまったら打つ手はない。英語教育について書いたり話したりは無駄な努力だと考えざるをえなかった。

それでも、何とか気力を奮い立たせて本書を書いた。この危機的状況にあって、言うべきことは言っておこうと考え直したからである。(略)

被害を受けるのは生徒たちである。特に可哀そうなのが小学生である。何も分からない子供たちが、あまり自信のない先生から中学レベルの英語を習う。嫌いにならなければ誠に幸いであるが、中学に進む頃には英語嫌いになっている児童が今より増える懸念がある。ゆとり教育のように、始まった途端から軌道修正を余儀なくされることになるかもしれないが、一人の子供にとっては間に合わない。その子が受ける英語教育は、たった一回きりなのである。救いようのない気持ちにならざるをえない。何とかしなければ、と本書を書きながら思い続けた。

☆☆☆

鳥飼さんは、えらいと思う。そうだ、あきらめちゃいけない。言うべきことは、言っておかなければ。反省しきりである。

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