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【日本語ワンポイントレッスン】 「~てしまう」は単なる「完了」表現ではありません

March 27, 2018

中学で英文法を習ったとき英語の完了形(have+過去分詞)を「完了用法」では「~してしまった」と訳すと習った人は多いのではないでしょうか。たとえば、次のとおりです。

 

I have already eaten breakfast.

(私はもう朝食を食べてしまった。)

 

あるいは、次のような説明を英文法の参考書で読んだことのある人も多いはずです。

 

〈have been toとhave gone toの違いについて〉」

have been toは「行ったことがある」という「経験」を表す。それに対してhave gone toは「行ってしまった(今はここにはいない)」という「完了・結果」を表す。

 

こうした解説を呼んでしまうと、まるで日本語の「~てしまった」が英語の「完了」とが一対一対応するような気がしてきます。

 

しかし、これは間違いです。日本語の「~てしまう」には、単に「完了」の意味を表現するのではありません。「~してしまう」という表現には、「完了」の意味以外に、話し手のさまざまな心の動き(気持ち)が込められているのです。

 

日本語学者の近藤安月子さんは、次のように述べています(『「日本語らしさ」の文法』p108)

 

シテシマウは、基本的に、ある事態の実現や課題の完結を表す用法と、ある事態の実現や発生が話し手の期待に反していることを表す用法があるとされます。一見、相反するように思われますが、シタシマウの基本は、何らかの動きの集結や変化の完結、そしてその結果生じる出来(しゅったい)の〈見え〉を言語化することですから、話し手が、どのような時にどのような事態の集結や出来にスポットライトを当てるかによって、事態の好ましさの度合いが変わると考えられます。

たとえば「新聞を読んでしまった」は、文脈なしでは単に新聞を読むという行為が完結したことを表しますが、新聞を読むことが何らかの課題となるような文脈があれば、課題の解決の解釈になります。また、読まない方がよいような記事が書いてあったとしたら、読まなければよかったというような後悔の解釈も可能です。典型的な完了の解釈以外は文脈に依存すると考えてよいでしょう。

 

たとえば、

 

「あの人は、いってしまった。」

 

という日本語を考えてみましょう。この日本語には、当該人物が「行く」ことを完了して既にここにいない、ということを表すだけではありません。ある状況下では、あの人がいくことを止められなかったという後悔の念が「行ってしまった」に込められています。つまり「~してしまう」には話し手/書き手の「ああ、いっちゃった…」という心の動きが込められているのであり、聞き手/読み手はそれを敏感に察知しているのです。

 

このように、心の動きをきめ細やかに言語として表現し、それを受け手も敏感に受けとれることが、日本語の特性のひとつであり、英語にはない特性でもあります。

 

したがって、「have been toは「行ったことがある」という「経験」を表す。それに対してhave gone toは「行ってしまった(今はここにはいない)」という「完了・結果」を表す。」などといった、英文法参考書の解説は、お門違いもいいところです。

 

 

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