翻訳に心をこめる

翻訳で生計を立てるようになって40年、翻訳に対する私の基本的な考えは変わらない。それは「訳文に心をこめる」ことだ。心のこもらない訳文は読み手に対する侮辱であり、なによりも訳者の自分自身に対する裏切りである。

16年間講師を務めるサイマル・アカデミー産業翻訳者養成クラスでも指導の方針は同じである。たとえどんなに翻訳技術的に優れた訳文であっても、もしもそこに心がこもっていなければ、それは「ゴミ」以外の何物でもない、本当の翻訳者となるためにはそんな訳文を決してつくってはいけないと受講生に言い続けている。

ほとんどの受講生は私の言葉に納得し、心のこもった訳文をなんとしても紡ぎ出そうとする。それはとても難しく苦しい作業であるが、とても楽しい作業でもある。このようにして、数多くの本物の翻訳者がこのコースから巣立っていった。私にとってそれは大きな喜びであり、誇りでもある。

ここ数年、翻訳の世界には激震が走っている。震源はコンピューター翻訳の台頭である。まず翻訳会社がコンピューター翻訳の採用に一斉に走り出した。行き場を失った翻訳者たちは翻訳業を辞めるか、コンピューター翻訳の下請け工になる道を選びはじめた。翻訳者を目指す人間の数は減り、私のクラスでも受講生が激減した。

コンピューター翻訳推進派は、ビッグデータ処理や人工知能の急速な発展によって、もうすぐ人間に劣らない翻訳がコンピューターで可能になるという。たしかにコンピューター翻訳の技術的な進歩はすさまじい。

だが、そんな技術進歩がなんだというのか。心を持たないコンピューターがつくり出した言葉など、どこまで進歩しようとも所詮はゴミでしかない。

コンピューター翻訳推進派の人々には、言葉が人間を人間たらしめる特別な存在であるという認識が欠けている。言葉を単にコミュニケーションツールとしてしか捉えていない。だからコンピューターに言葉を「出力」させてそれを平気で「翻訳」と呼べるのだろう。

たしかに観光や医療など一部の分野ではコンピューター翻訳は役に立つ。しかし私のいっているのはそういうことではない。もっと根源的なことだ。

心のこもらない言葉にばかり接して育った人間は本当の人間にはなれない。いまの世の中はすでに心のこもらない言葉であふれかえっている。コンピューター翻訳の普及がそれに拍車をかけることを私は憂える。

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