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成瀬塾通信 no.35 線状性と動的理解

August 15, 2018

ハチ公:  ご隠居はん、いてはりまっか?

 

ご隠居: なんや、植木屋のハチ公やないか。どないした?

 

ハチ公:  今日は、ご隠居はんにちょっとおたずねたいことがおますのや。じつは、うちのヨメはんが英語を習いはじめましてな。

 

ご隠居: ほう、英語てか?

 

ハチ公:  へえ。このところワシの稼ぎが悪いもんで、ヨメはんもなんぞ仕事をせんといかんと思うたみたいですけども、手に職があるわけやおまへんさかい、ええ仕事がなかなか見つからん。そこでまず手に職をつけたいんやけれども、はて自分になにができるかと考えたところ、昔から好きやった英語で仕事ができればこんなええことはない、ちゅうわけで、とにかくまず英語の学校に通うことにしたんですわ。

 

ご隠居: ほうほう。

 

ハチ公:  いろいろ学校さがして、結局、サイマルとかいうとこに決めたみたいです。

 

ご隠居: ほう、サイマルかいな。そらあ、有名どころやな。

 

ハチ公:  そうでっか。まあ、有名やからええというわけではありませんけどな。で、先月から学校に通ってますのやけど、これがどうもヘンなんですわ。

 

ご隠居: ほう?

 

ハチ公:  受け持ちがナルセとかいう人なんですが、この先生がどうもわけのわからんことをいうらしいんですわ。言語にはセンジョーセイがあるとか、ドーテキリカイが大事やとか、ヨメはんが学校から帰ってきてから一緒にメシ食いながら話を聞かされまんねんけど、なにいうてんのか、さっぱりわかりまへんねん。ヨメはんに「お前のいうこと、さっぱりわかれへんで」というと、ヨメはんも「そら、そうやろ、ワタシにもさっぱりわからん」というもんやさかい、二人で笑うてます。
そやけども、ご隠居はん、先生というのは、ほんまにええ商売でんな。生徒がわからんでも、お金がもらえるんですわな。うらやましいこっちゃ。

 

ご隠居: まあ、昔から、教師と乞食は3日やったらやめられん、というわな。

 

ハチ公:  いままで2、3回、授業を受けてますねんけども、ヨメはんもどうもようわからんらしいのです。ひょっとしたら、そのナルセいう先生、ニセモンとちがうのか、てワシがいうたら、ヨメはんも首をかしげて「そんなことはないと、思うけど……」て、いいますのや。うちのヨメは人の悪口は絶対いわん女やさかいに、キツいことはいいまへんけどな、不安には思うとるらしいんですわ。そこで、ご隠居さんにご意見をうかがおうと思うて、こないして、やってまいりました。

 

ご隠居: なるほど、そういうことかいな。あんたとこのアサエさん、翻訳者になりたいてか。そら、ええことや。なにしろ、翻訳というのは家におってできる商売やさかいに、あんたとこみたいに子供のたくさんおる家には、ぴったりや。元手もいらんし、それに年くってからでも商売ができる。ほんでもって、あんたの持ってきた、これが、そのナルセ先生の教科書かいな。なになに、「翻訳のための基本知識」てか。ちょっと、読ませてもらうで。

 

ハチ公:  で、ご隠居はん。どうでっか、そのナルセとかいう先生、やっぱり、ニセモンでっか?

 

ご隠居: まあまあ、ちょっと待ちなはれ。ふむふむ……、ふーむ、なるほど。

 

ハチ公:  どうでっか、どうでっか、ご隠居はん。

 

ご隠居: そうやな、ワシのみるところでは、このナルセ先生いうのは、ニセモンではないな。

 

ハチ公:  ニセモンや。おまへんか。

 

ご隠居: うん、ニセモンではない。ただ……。

 

ハチ公:  ただ……、なんでんねん?

 

ご隠居: かなり、変わっとる。

 

ハチ公:  変わりもんでっか。ヘンでっか。

 

ご隠居: そやな。ヘンといえば、ヘンやな。あんまり、人のいわんことが書いてある。

 

ハチ公:  そらあ、えらいこっちゃ!そんな偏屈モンの先生に、うちのヨメをまかすわけにはいきません。すぐ、やめさせますわ!

 

ご隠居: まあ、ちょっと、待ちなはれ。そもそも先生なんぞというもんは、だいたいがヘンなもんや。ヘンで世の中ではまともに通用せんから、先生をやってるわけやからな。

 

ハチ公:  そんなもんでっか。

 

ご隠居: うん、そんなもんや。たしかに、この先生の教科書には、あんまり人のいわんことが書いてある。そやけどな、ただ自分の意見を勝手に並べたてているのとちがって、いろいろな学者さんの意見をちゃんと勉強したうえで、自分の意見を述べているみたいや。その点では、まあ、ええのとちがうかな。

 

ハチ公:  そうでっか、ワシには、そういうことは、さっぱりわかりまへんけどな。それにしても、センジョーセイて、いったいなんですねん。なんでホンヤクとやらで、洗え、洗えて、いわれな、あきまへんのや。

 

ご隠居: センジョーいうのは、洗うことやない。線条性、つまり一本の線みたいなかたちをしているいうことや。英語でいうと、リニアリティやな。リニア新幹線のリニアや。

 

ハチ公:  そういうたら、うちのヨメはんも、リニャアなんたらとか、いうてました。

 

ご隠居:そうや、そのリニャアなんたらが、センジョーセイや。う~ん、どないに説明したらええのか……。そうやなあ、たとえば、あんた、車を運転するやろ。

 

ハチ公:  へえ、運転します。

 

ご隠居: そのとき、前に進むように運転するわな。

 

ハチ公:  当たり前でんがな!後ろにいってどないしますねん。それやったら、となりのウチいくのに、地球一周せなあきまへんで。

 

ご隠居: おお、なかなか、しゃれたこと、いうやないか。そのとおりや。車を運転するときは、横にも後ろにいかずに前にどんどん進んでいくしかあれへん。もちろんユーターンも右折も左折もできるけども、前と横と後ろにいっぺんに進むことは無理や。道路いう一本の線のうえを、前進するしかあれへん。これが、センジョーセーや。ところであんた、庭をつくるときには、どこからつくりなはる。

 

ハチ公:  どこから、でっか。うーん、だいたいは決めてますけど、庭によって違いまんな。それぞれの庭には、それぞれの持ち味がありますさかい、なんでもかんでも、ここからこうやってつくったらええというわけにはいきまへん。

 

ご隠居: そうやろ。それぞれの個性にあわせて、どこから手をつけてもええ。つまり、庭造りには、センジョーセーがないんや。こんなふうに、世の中にはセンジョーセーのあるもんもあれば、ないもんもある。そのなかで、人間が言葉を話したり聴いたり書いたり読んだりするというのは、車の運転と同じで、センジョーセーがあると、このナルセ先生は、いうてはる。

 

ハチ公:  言葉を話すのは、車を運転するのと同じやて、いうてはるんですか。そらまた、けったいな考えですな。それにしても、このナルセ先生という人、かなり頭の悪いお人ですな。

 

ご隠居: ほう、なんでや?

 

ハチ公:  そうでっしゃろ。言葉を話したり聴いたりするときに、前から順々に聴いたり話したりせんといかんて、当たり前やがな。当たり前だのクラッカーや。そんなん、うちの5つのガキでも知ってまっせ。それを、センジョーセーとかいうワケのわからん言葉を使うて、わざわざ説明してはるのやから、ずいぶんとアホくさい話ですわ。

 

ご隠居: あんたのいうことも、わからんではない。言葉は前から前から理解せなあかんというのは、たしかに5つの子どもにでもわかることや。そやけども、その5つの子どもにでもわかることが、英語となると、なかなかそうはいかんのや。

 

ハチ公:  そら、どういうことですか。ひょっとしたら、英語というのは、前から前から順々に聴いたり話したりしたらあかんのですか。そんなことしたら、お巡りさんに捕まりますのか。

 

ご隠居: いやいや、警察には捕まらん。ただ、日本人が英語を勉強するときには、じつは前から前から順々に聴いたり話したりしてないのや。じつはワシも若いころに、英語を少し勉強したことがあってな。そのときに教えてもろうたのが、直訳というやり方やった。ところで、あんた、なんぞ知ってる英語はないか?

 

ハチ公:  英語ですか。なにしろ中学のときの英語の授業は、ずうーっと、寝てましたさかいに、なーんも、覚えておませんけどな。それでも、「ジスイズアペン」「アイハブアブック」ぐらいなら、わかりまっせ。

 

ご隠居: それやったら、その「ハイハブアブック」で説明しよか。まず、アイというのは、「わたし」にあたる英語やな。それで、ハブが「持っている」、アが「一冊」、ブックが「本」や。それを全部くっつけると「アイ・ハブ・ア・ブック」となって、「わたしは一冊の本を持っている」という日本語になるんやな。こんなふうにして、英語の言葉を日本語の言葉にそれぞれに直接に置きかえてつなぎあわせていくやり方を、直訳というのや。

 

ハチ公:  直接に置きかえて訳するから、直訳でっか。そのまま、でんな。

 

ご隠居: ところで、この直訳というやり方では、言葉の順番が変わってしもうとる。英語では「アイ・ハブ・ア・ブック」の順番やけども、もしそのとおりに日本語を並べてみると「わたし、持っている、一冊、本」となる。
ところが、直訳では「わたしは一冊の本を持っている」とするから、「持っている」が一番最後にいってしまっておる。つまり、直訳を使うて、英語をいちど日本語に変えてから意味をわかろうとすると、英語の本来の順番とは違う順番で意味をわかろうとしてることになる。
まあ、このぐらい簡単なもんやったら、これでもなんとかなるやろ。そやけど、これがもっとややこしいもんになってくると、前にいったり後ろにいったりを、何度も何度も繰りかえさなあかん。そうなると、英語を理解しとるのではのうて、謎解きをしているみたいになってくる。
そんなんでは、まともに英語をわかったことにはならん、そうではのうて、言葉には線条性があるんやさかいに、英語を英語の語順のままで理解するようにせんといかん、とまあ、このナルセ先生は、そういうことをいわれてはるんやな。

 

ハチ公:  ご隠居はん、いや、さすがでんなあ!ようわかりますわ。うちのヨメも、サイマルとかいうとこにいかんでも、ここでご隠居はんに教えてもろたほうが、ええんとちがいますかな。タダやし。
で、ご隠居はん、センジョーセーとやらはこれでわかりましたんで、もうひとつのドーテキリカイのほうを教えてもらえまっか。この「リカイ」というのは、理解のことでっしゃろ。このぐらいはワシでもわかりまっせ。わからんのは「ドーテキ」のほうですわ。いったい、なんですねん?

 

ご隠居: ほな、これも車の運転に例えて説明しよか。あんたが車を運転するとき、ふだんから運転してる道と、はじめて運転する道とでは、どっちが運転しやすい?

 

ハチ公:  そんなもん、いつも運転している道に決まってますがな。

 

ご隠居: なんでや。

 

ハチ公:  なんでやって、そらまあ、よう知っとるからですわ。次にどこがどうなってるか、わかってますからな。はじめての道は、それがわからんさかいに、神経つかいますわ。

 

ご隠居: その神経つかう、ちゅうのは、どういうことや。

 

ハチ公:  いろいろありますけれども、たとえば、ここまでは上りやったから、そろそろ下りになるやろとか、これまでの様子からみると、そろそろ信号があるんとちがうかとか、そんなことでんな。

 

ご隠居: そやろ。そこまで走ってきた道のようすから、次にどないなるかを先読みをしておいて、それで、それなりの心構えをしておく。その先読みが正しかったら、そのように運転して、もしそうでなかったら、そのときには自分の先読みのほうを見直して、新しいかたちでの先読みをして、またそれなりの心構えをする。
そうやって運転をしていくうちに、だんだんと先読みの当たり具合が増えてきて、そうなると、運転もだんだんとラクになっていく。これが「ドーテキリカイ」というやつや。ドーテキの「ドー」は動くという意味の動、「テキ」はナントカテキの的や。それまでにわかっていることを土台にして、その場その場で臨機応変に判断していく、というわけやな。
このドーテキリカイの反対が、セーテキリカイや。「セー」は静かなという意味の静で、ここでは止まってるという意味やな。車の運転でいうたら、車に乗る前に、地図できっちりと道の様子を調べておくというやり方にあたる。これならば、その場その場で臨機応変に判断する必要はない。

 

ハチ公:  なるほどなあ。そやけど、ご隠居はん、それやったら、そのドーテキリカイとかいうやつよりも、セーテキリカイのほうが、ええんとちがいますか? なにしろ、最初から全部が見通せてますからな。ワシも車で新しい道を走るときには、その前に地図でちゃんと調べときまっせ。

 

ご隠居: さあ、そこやがな。たしかに、最初から全体を見渡せたほうが、わかりやすい。そやけども、考えてごらん。ここまで二人でいろいろと話をしてきたのやが、あんた、最初からこんな話になると思うてたか?

 

ハチ公:  そんなこと、おまへん。ご隠居はんがいわはることに、もっともやー、もっともやー、とうなずきながら、ここまできたんですわ。

 

ご隠居: そやろ。これを車の運転でいうたなら、知らん道を走りながら、だんだんとまわりの様子が見えてきたということや。ワシのほうも、最初からこんな話をするつもりやなかった。あんたがいろいろと訊いてくるさかいに、こないな話をすることになったんや。
こんな具合に、言葉を使うときには、次にどないなるかが、そもそもわからんものなのや。そのわからんなかで、それまでにわかっていることを土台にして、それなりに理解を深めていくしかない。とどのつまりは、言葉を使うときには、セーテキリカイはそもそも無理やというわけや。その場その場で臨機応変に対応する、つまり、ドーテキリカイをするしかないのや。

 

ハチ公:  そやけど、ご隠居はん。そないなこというても、日本人が英語を勉強するときにはドーテキリカイをするんやのうてセーテキリカイをすることのほうが多い、これが日本の英語教育の困ったところやて、授業でナルセ先生がいうてはったと、うちのヨメはんがいうてましたで。

 

ご隠居: それはやな、これまでの日本の英語教育では、英語の本を読むことばかりを教えてきたからや。いま、あんたとワシとしゃべっていることは、どんどんと前へ進んでいって、終わったことはどんどんと消えてしまう。そやから、ドーテキにリカイするしかないのやが、本を読むときには、そうではない。いつでも、返り読みができるのや。わからんと思うたら、前へ戻ってもういっぺん読めばええ。それでもわからんかったら、また読んだらええ。こんなふうに、なんべんでも読み返しができるさかいに、必ずしもその場その場でわからないかんということはない。つまり本を読むときには、セーテキリカイも使えるということや。

 

ハチ公:  そやけど、それやったら、それはそれで、ええんとちがいますか。

 

ご隠居: ところが、そうもいかん。なにしろ、その場その場でパッパッと理解していくドーテキリカイとちがって、セーテキリカイは、やたらと時間がかかるのや。わからんかったら、何度でも読み返すのやからな。車の運転でいうたら、知らん道を走っておって、ちょっとでも道筋がわからんようになったら、もときた道を引き返して、そこからもう一度走り出すみたいなもんや。

 

ハチ公:  そんなことしてたら、いつまでたっても目的地に着きませんで。休みの日にガキつれてユニバーサルスタジオいこうと思うて、朝に家をでたけど、着いたのが夕方やった、みたいなことになりまっせ。

 

ご隠居: そのとおりや。英語を読むのでも、そんなことをやっていたら、いつまでたっても本が読み終わらん。ヘタすると、一冊の本を読むのに半年も一年もかかる。まあ、そんな英語授業を、日本の英語教育はしてきたわけやな。それではあかん、本を読むときでも、もっとスピーディに読まんと実際に読んだことにはならんし、そもそも仕事で使いものにならん。そのためには、話すときだけやのうて、読むときにもドーテキリカイが大事やと、まあ、それがナルセ先生のいわはりたいことやな。

 

ハチ公:  なるほど、そういうことでっか。うーん……、なるほどなあ、うーん……。

 

ご隠居: なにを、うんうん、うなっとるのや。

 

ハチ公:  こうやってご隠居はんの話をうかがってみますと、ナルセ先生というお人のいわはることにも、それなりにスジがとおってるなあと、思いましてな。

 

ご隠居: そやから、最初にいうたやろ、この先生はニセモンやないて。

 

ハチ公:  そうですけども、ヨメはんの話をきいて、なんとなく、ニセモンちがうのかな~、なんて思うてたもんでっさかい。ということは、もう少し、ヨメはんに、いまの学校、続けさせてもええですかな。

 

ご隠居: そやな。もう少し続けさせて、それでも納得がいかんようやったら、そこで、もういっぺん考えてみれば、ええのとちがうか。

 

ハチ公:  ほな、そうしますわ。それから、いま聞いた話ですけどな、さっそくヨメはんにも、話してみます。

 

ご隠居: ほう、どんなふうに話すのや?

 

ハチ公:  そうでんな。センジョーセーというのは、洗うことではなくて、車走らすのに後ろにはいけない、ドーテキリカイができなかったら、ガキをユニバーサルスタジオに連れていくと夕方になってしまう……。

 

ご隠居:ハチ公はん、悪いことはいわんから、な~んにもいわんとき。

 

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